文化発表会の取り組みが本格化していきます。

ランチタイム

午前中の授業が終了し、給食の準備に入りました。

係生徒の皆さん、よろしくお願いします!
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英会話レッスン

少人数教室を使って、英会話のレッスンです!

C-NETの先生と、対等に会話しています!

恐るべし、英語力!
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被服実習

スナップつけに悪戦苦闘の男子生徒を、優しく女子生徒がフォロー!

素晴らしいアシストですね!
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被服実習

3年生の家庭料の時間。

エコバックの作成中です。
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臨時 全校集会

本日、1月17日。

臨時の全校集会を行いました。

校長講話

全校生徒の皆さん、おはようございます。
本日、1月17日は、皆さんも知っているとおり、
29年前、あの忌まわしい「阪神淡路大震災」が起こった日です。

29年前ですから、君たちは影も形もなく、
若い先生方もまだ生まれていません。
すでに私は教師として働いていましたが、
忘れたくても忘れられない、
えげつない揺れの大地震でした。

午前5時46分。
この時間、ちょうど私は学校へ出勤するために、
自宅マンションの4階の部屋を出て、
エレベーターホールへ向かい、
エレベーターを呼ぶためのスイッチを押して、
ドアが開くのを待つ瞬間でした。

とてつもなく大きな音と稲妻が光り、マンションが大きく揺れ、
何と下を流れている寝屋川が上空に見えました。
最初は何が起こっているかもわからず、
ただただ壁にしがみついているだけの自分がいました。
建物が崩れ落ち、もう死んでしまうと思いました。

淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の激震。
今まで生きてきた中で味わったことのない、えげつない揺れでした。
どれくらいの時間揺れていたのかわかりませんが、
揺れが収まってから急いで部屋に戻ると
嫁さんと子どもたちは無事でした。
そして自転車で学校に向かいました。
街中は倒れているものがいっぱいでした。

学校に一番に到着し、職員室を開けると・・・
先生方の机の引き出しが開き、あらゆるものが散乱していました。
片付けに20分ほどかかり、ホッとしていたら、
第二の揺れが押し寄せました。
「あぁ、青年教師、職員室で犠牲に」新聞の見出しが頭に浮かびました。
幸いすぐに揺れは収まったので、助かりました。

そのあと、教室が心配になって校舎の二階に駆け上がりました。
教室を点検している途中で、三度目の揺れがやってきたのです。
立っていられずに、廊下の傘立ての手すりにつかまりました。
校舎がつぶれてしまうという恐怖と闘いながら、
揺れの収まるのを待ちました。

たった一人で三度も揺れと闘うなんて。
こんな経験は本当に二度と御免です。

29年前ですから、あの激震を経験していない人が年々増えています。
激震と言われても、たぶんピンとこないでしょう。
この間の元旦の揺れとはやはり違います。

1.17 その日は大阪市内の中学校もまちまちで、
私の学校は大部分の先生方が出勤できて、
生徒も登校して授業が行われました。
しかし、他の学校では先生方が出勤できずに臨時休校となったり、
学校の水道管が破裂し水が使えなくなったり、
中には、自宅が全壊で、何とお亡くなりになった先生もいたのです。

大きな揺れで建物が崩れ、高架の阪神高速道路が横に倒れました。
神戸の長田区では揺れで火災が発生し、
道路が家屋の倒壊で寸断され、消防車が駆けつけることができず、
消火作業ができませんでした。輪島の朝市と同じです。

水道や電気・ガスがストップしてしまい、
暖房のない中で生活しなければならない人々も大勢いました。
電話もつながりません。
学校生活どころでなく、学校が住民の避難所になり、
教室や体育館で寝泊まりした人も多くいました。

甲子園に住んでいた私の親戚は、自宅が全壊。
幸い家族は奇跡的に全員無事でしたが、
愛犬が亡くなってしまいました。
住む場所がなく大阪の城東区で仮住まいをすることになりました。

先生の中には、家に帰ってもライフラインが止まっているので、
大阪で食事をして銭湯でお風呂に入り、
宝塚の自宅へ帰られる先生もいました。
大阪はまだましで、
尼崎から西宮・宝塚・芦屋・神戸、淡路島はあちこち悲惨な状態でした。

しかし、そのような中、ありがたかったことは、
この大混乱の被災地に、
全国各地から支援の品や義援金がたくさん届けられ、
また、多くの人たちが積極的に助けに来てくれたんです。
大阪から神戸まで歩いて駆けつけた人も多くいました。
実はこれがボランティアの始まりだったんです。
自分のことよりも、もっと大変な方を助けようというこの精神。
この気持ちが関西で広がり、
その後、13年前の東日本大震災のときにも、
みんなが東北を助けよう、元気づけようとしました。

6千人以上が犠牲となった阪神淡路大震災。
東日本大震災も含めて、
今なお大震災の苦しみから逃れられない方もまだおられます。

そんな大震災が今年の元旦に能登半島で発生してしまいました。
今年最初の日に、喜びが一瞬で悲しみに変り果てました。
日を追うごとに被害が分かりはじめ、テレビに映る映像は、
29年前の淡路島や神戸、13年前の三陸海岸と全く変わりません。
やはり、他人ごとではないのです。
被災された方に対して、何かできることはないか、
支援できればとみんな考えてしまうのです。
君たちの周りにも義援金を出した方が多くいることでしょう。

今後、いつやってくるかもしれない大きな地震。
AIなどいくら科学技術が進歩しても、
日本はこの地震の脅威とこれからも
向き合っていかなければならないのです。

備えあれば憂いなしと言います。
命を大切に、そして命をつなぐためには、
日々の心がけや危機感を大切にする以外ありません。

皆さんはこの大震災の経験をしていませんが、
経験した人間から当時の様子や努力をしっかり聞いて、
教訓として命を守り、
次の時代の人たちに伝えていかねばなりません。

それでは最後に阪神淡路大震災でお亡くなりになった皆様、
そして今回の能登半島地震で亡くなられた皆様のご冥福を祈り、
黙とうをささげたいと思います。
全員起立してください。

黙とう 

ありがとうございました。

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