7/8 今週もスタート!昨日は七夕でしたが、織姫星ベガと彦星アルタイル、そしてその間の天の川は見られたでしょうか? 短冊に願い事を書き、笹に吊しましたか。実は7月7日の七夕は日本の昔の暦(太陰暦)の話で、今の暦(太陽暦)を使うようになっても慣習として7月7日をそのまま七夕として残しています。今の暦でいうと、本当は今年は8月10日が七夕となり、この日を「伝統的七夕」というそうです。実際、この「伝統的七夕」の日におまつりを開くところもあり、北海道では毎年8月7日に、宮城県仙台市では毎年8月6日から8日に七夕まつりがあるそうです。社会科の授業でも学習すると思います。 さて、7月3日に新紙幣が発行されました。もう手にした人もいるかもしれません。この新紙幣に描かれる人物というのは、日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど一般によく知られている、そしてなるべく精密な人物像の写真や絵画が入手できる人物であることを条件として選ばれています。 では、それぞれの紙幣に描かれた人物をこの機会に紹介しましょう。 新しい1万円札には福沢諭吉に代わり“渋沢栄一”が描かれています。 渋沢栄一は、江戸時代農家に生まれ、畑作や養蚕などを手伝うかたわら、父親やいとこから学問を学びました。 その後武士に取り立てられ、江戸幕府15代将軍の慶喜に仕え、パリの万国博覧会に派遣されます。そこでヨーロッパの先進諸国の実情を見聞し、経済の仕組みについて学んできました。 明治維新後は大蔵省に在籍し、大蔵省を退任したのち今度は経済人として、日本初となる銀行「国立第一銀行(現在のみずほ銀行)」を設立しました。また、日本最初の株式会社組織を作り上げたのも彼で、その他、約500もの会社や経済団体の設立・経営に関わったほか、約600もの教育機関・公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、「日本の資本主義の父」と呼ばれています。 新しい5千円札には、樋口一葉に代わり“津田梅子”が描かれています。 津田梅子は幕末に藩士の屋敷に生まれました。梅子の父は江戸幕府の通訳をしていた関係で、梅子はわずか6歳にして欧米視察の岩倉使節団に参加します。その時、行くという決断は梅子自身がしたそうです。11年の留学を経て帰国、そこから再渡米などを経て、明治33(1900)年に「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を創設しました。女子の高等教育に尽力した、女子教育の先駆者として歴史的な人物です。 新しい千円札には、野口英世に代わり“北里柴三郎”が描かれています。北里柴三郎は幕末に庄屋の家で生まれ、その後18歳でオランダの軍医に師事したことで医学への道を志します。ドイツ留学中にさまざまな発見や研究成果を上げ、世界的に名前が知られることとなります。その後帰国し、福沢諭吉らの支援のもと、明治25(1892)年に私立伝染病研究所を創立し、後進の育成を行いました。ペスト菌の発見で知られている人物でもあります。 この3人に共通することは、年齢は様々ですが、自分が学んだり経験したことを糧にさらに探究心をもって取り組むことで、自分の目指すべき道(目標)を定め努力したところではないでしょうか。 最後に、「幸福を得たければ、まず夢を持つべし」という、渋沢栄一の代表的な名言「夢七訓」を紹介します。 「夢なき者は理想なし、 理想なき者は信念なし、 信念なき者は計画なし、 計画なき者は実行なし、 実行なき者は成果なし、 成果なき者は幸福なし、 ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず」 どんな時でも夢をもつべし、と言っています。夢は“見る”ものではなく“叶える”もの、Dreams come true です。 7/8 体育の授業(3年3・4組)男子は、200mのクロールのテストをした後、平泳ぎの練習を行いました。 女子は、背泳ぎの練習を行いました。 写真を撮りながらプールに飛び込みたい!と思うほど、気温が高い時間帯での授業でしたが、さすが3年生。体調不良者など出ることなく、元気に泳いでいました。 7/8 給食・ごはん ・肉じゃが ・あつあげのみそだれかけ ・オクラのおかかいため ・牛乳 7/5 給食・おさつパン ・かぼちゃのミートグラタン ・鶏肉と野菜のスープ ・みかん(冷) ・牛乳 7/4 給食・牛丼 ・もやしとピーマンのごまいため ・大福豆の煮もの ・牛乳 |