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互いを認め合う

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令和6年8月7日(水)夏休みコラム
日本イエナプラン教育協会研究部のメンバー4人 のnote記事「対話についての対話」より、(続き)
 
 ここまでオランダと日本を比べてみて、オランダには「人はそれぞれ違う。みんな違って当然。」という感覚が、当たり前にあるということが分かりました。イエナプランに惹かれている私たちは、正解探しをしたり、他人と自分を比べたりせず(比べたとしても、自分は自分、相手は相手、と一度完結して)、自分らしく生きたい、より楽しく、喜びをもって生きたい、と感じています。対話をすることで、自分の考えがより明確になったり、変化したりすることを楽しみたいと思っています。子どもたちに対話の大切さを教えるならば、まずは自分たち大人から、とも思っています。これからも、対話の練習を続けていくとともに、対話を楽しみたいと思います。




 北欧フィンランドにはこんな言葉があります。それは、「みんな違って、どうでもいい」です。これもオランダの考え方同様に、自分も人も認め、互いをリスペクトするお国柄だと感じました。
 また、熊本大学の苫野一徳教授にこんな言葉があります。それは、「自由の相互承認」です。これもオランダの考え方そのものです。
 自分の自由を認めてほしければ、相手の自由も認めること。お互いの考え方を尊重し合いながら、対話を重ねて、互いの納得解を見つけていくことは、民主主義の根本になると思います。
 子どもに対話を求める前に、大人が対話を楽しんでいるのか?問い直したいですね。

なーんだ?

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令和6年8月7日(水)夏休みなぞなぞ
みなさん!元気ですか?
このところ、雷雨があり、少し暑さをしのげていますね。ただ、豪雨の場所もあり雨対策にも気をつけなければなりません。

では、20日目の問題です!

「真剣(しんけん)に相談(そうだん)したらもらえるイスはなーんだ?」

わかったかな?
答えは明日ね!

正解主義からの脱却!

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令和6年8月6日(火)夏休みコラム
日本イエナプラン教育協会研究部のメンバー4人 のnote記事「対話についての対話」より、(続き)

 みんな、一つの「正解」を求めてしまっているからなのではないでしょうか?だから、対話が「正解探し」のようになってしまう。お互いがこういう考えなんだね、で終われず、「正解」にどちらが近いか、というマインドになってしまう。
 さらに、競争マインドが浸透しすぎている気がします。だから、お互いの違いを生かし合おうとはならず、対話もマウントを取ろうとする人が出てきたり、より正解に近いのはどちらか、で競争になってしまう。
 そもそも、私たちの中に、競争までいかなくても、相手と自分を比べて、相手を意識しすぎてしまうマインドもあります。自分の失敗や足りないところをポジティブに捉えることができないように育ってきてしまっています。小さい頃から「正解」により近づくように育てられてきている・・・大きな弊害な気がします。





 ここなんですよね!「正解を求めすぎる!正解以外はダメ!」のような「正解主義」が強すぎるような気がします。だから、子どもも大人も自分の意見を素直に出せないのです。
 これからの先の読めない、流れの速い時代の中では、正解が何かを求めるよりも、今の最適解が何なのか!そして、違っていたらすぐに修正して、前を向くことの方が大事な時代なのです。つまりは「正解主義」から「修正主義」へシフトチェンジしなければならないのです。さらに、「前例踏襲」から「先例踏襲」へ、良いと思ったら即実行!ダメだったらやり直せばいいのです。

なーんだ?

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令和6年8月6日(火)夏休みなぞなぞ
みなさん!元気ですか?
最近天気が不安定ですね。雨は暑さをやわらげますが、湿度が高くてスッキリはしませんね。男子バレー惜しかった!ほんと惜しかった!

では、19日目の問題です!

「父親がじっと時計を見てる。なんじかな?」

わかったかな?
答えは明日ね!

対話を楽しむために

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令和6年8月5日(月)夏休みコラム
日本イエナプラン教育協会研究部のメンバー4人 のnote記事「対話についての対話」より、(続き)
 日本の場合は、日本は意見を出し合って、受け入れ合ってを大切にしているが、あんまりそこから深まっていかない、続かない印象です。同意する時は示してくれるけれど、「本当にそうなん?」って思った時は言わないイメージです。反対したり、話が長くなるのが悪いと思ってるのでしょうか。
 学校でも、対話を学力の為にしなきゃ!という感じで、楽しいから対話をしよう、という感じではないのかもしれません。そもそも、人と人との関係性が大事、という土壌が出来上がっていない気がします。関係性ができてないと、意見というつもりで言ったが、否定的だととられてしゅんとされたり、怒られたりするので、意見が言えなくなってしまいます。
なぜなのでしょうか?

ストレスを抱えているからなのでしょうか?



 確かにその通りかもしれません。本校で始めた「哲学対話」の場面でもこのことが明るみに出ました。「何言ったらいい?こんなん言ったらなんて思われる?なんか間違ったこと言ったら笑われるかも!」と子どもたちが悪い意味で空気を読んでしまい、一歩踏み出す勇気を持てない子どもがいました。こんなことって大人の話し合いにもないでしょうか?相手を慮ることを美しいとする日本の風土には、人と人との関係性をより高みに運ぶための障壁があるかもしれません。

 さあ!みなさんなぜだと思いますか?(この記事にある答えは明日発表します!)
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