給食集会を行いました。
1月20日〜24日までは給食週間となっております。今日は、給食委員会の子どもたちが給食に関するクイズをしたり、いつもおいしい給食を作ってくださる給食調理員さんにみんなで作ったカレンダーをプレゼントしたりする給食集会を行いました。
クイズでは、「大阪市で給食が始まったのは何年からでしょうか。−1950年」や「給食のおコメの品種はどれでしょうか。−ななつぼし」「茨田東小学校の給食調理員さんの人数は何人でしょう。−7人」など、普段は考えないような興味深いクイズがたくさんありました。 最後に1年生から6年生までの子どもたちが感謝の気持ちをこめて作ったカレンダーを給食調理員さんに渡しました。 給食のことをたくさん知れて楽しめた給食集会になりましたし、これからも食べ物や給食調理員さんへの感謝の気持ちを忘れずに、給食を残さず食べてほしいと思います。 1月22日の給食黒糖パン ケチャップ煮 ささみと野菜のソテー りんご 牛乳 でした。 『ささみ』 ささみは、鶏の胸肉の胸骨に沿った部位です。笹の葉に形が似ていることが名前の由来といわれています。 ささみは、たんぱく質を多く含み脂質が少ないです。100g当たりの含有率は、たんぱく質が23.9g、脂質が0.8gです。 そのほかに、ビタミンB群やマグネシウムなどが含まれています。 1月21日の給食豚肉と金時豆のカレーライス はくさいのピクルス 棒チーズ 牛乳 でした。 『大阪市の学校給食の歴史』 〇昭和24(1949)年 ユニセフ寄贈物資による完全給食の指定(国)を受け、精華・北中道・金塚の小学校3校で給食が開始されました。 〇昭和25(1950)年 全ての小学校で給食が開始されました。 〇昭和56(1981)年 月1回の米飯給食が開始されました。 〇昭和61(1986)年 学校給食所要栄養量の基準が低・中・高の3段階に変更されました。 〇平成15(2003)年 週3回の米飯給食が開始されました。 〇平成30(2018)年 牛乳がびんから紙パックに変更されました。 〇令和元(2019)年 中学校における学校調理方式の給食が2学期より全ての中学校で実施されました。 1月20日の給食コッペパン みかんジャム あじのレモンマリネ てぼ豆のスープ煮 白桃(カット缶) 牛乳 でした。 『全国学校給食週間』 日本の学校給食は、明治22(1889)年に初めて実施され、全国各地に広がっていきましたが、戦争の影響などによって中断されました。 戦後、食糧難による児童の栄養状況悪化を背景に学校給食の再開を求める声が高まり、アメリカの民間団体ララより学校給食用物資の寄贈を受けて、学校給食が再開しました。 昭和21(1946)年12月24日に物資の贈呈式が東京都の小学校で行われ、この日を「学校給食感謝の日」と定めましたが、昭和25(1950)年度より冬季休業と重ならない1月24日から30日までの1週間を「全国学校給食週間」としました。 この期間には、学校給食の意義について児童生徒や教職員、保護者の理解を深めるための様々な行事が全国で行われます。 茨田東小学校では、1月20日〜24日の1週間を給食週間として、給食集会、給食がんばりカードの作成、給食川柳など、様々な取り組みをしています。 給食川柳は全校児童が作成し、その中から各クラスで選ばれた作品を、給食室前の掲示板に掲示しています。 かけ足会がはじまりました。
運動への関心と、自主的な体力づくりへの意欲向上を目標とした「かけ足会」が始まりました。
1年生から6年生までの全校児童で中休みに第2グランドへ行き、低学年・中学年・高学年にコースを分けて走りました。速さを競うわけではなく、どの児童も長い距離を同じペースで走り続けることを意識する姿が見られました。 走り終わった後、「〇周も走れたよ!」「明日は今日よりもう少し走れるようにしたい!」と伝えに来てくれる児童がいました。 明日以降も最後の日まで自分のペースで走り続け、体力を向上させてくれることを願います。 |
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