夜の静寂に、一瞬だけ咲いた灯 1組、隠岐の空に描いた記憶
3年1組の夜、*その手には花火。*
火薬の匂いと微かな風。 ひとつ火を灯せば、暗闇が少しだけ色づいて、 次の瞬間、静かに宙に消えていきます。 *大阪の空ではない。* ここは、街灯もビルの光も届かない、*隠岐の夜空*。 その暗さが、逆に花火の輪郭をはっきりと浮かび上がらせる。 *生徒たちは声を上げすぎず、火の軌道を目で追い、静かに手を動かしながら、笑い合っていました。* この時間に意味を求める必要はありません。 ただ、*一瞬を大切に扱う姿そのものが、成熟の証。* 大自然を前に、文明の小さな火を手にする。 その姿には、*人が自然の中で何を感じ、どう在るべきか* そんな問いまでもが、そっと立ち上がってくるようでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 貸し切りの夜、ひとつのクラスがひとつの宇宙になる
3年4組の夜は、*担任の先生の粋なはからい*で特別な時間となりました。
宿に併設された体育館を“貸し切り”。 誰にも邪魔されず、照明の下で、自由に、思いきり動ける夜。 その空間には、ルールも、成績も、比較もない。 ただ、*このクラスで過ごす「今」という瞬間だけが、静かに輝いていました。* 鬼ごっこのような追いかけっこに、歓声が響き、笑いが跳ね返る。 走る理由はなくても、 *“全力で遊ぶ”という行為が、人と人の距離をいとも簡単に近づけていく。* *教育とは、知識だけを教えることではありません。* こうした時間の中にこそ、人を信じ、人と繋がる術が育まれているのです。 貸し切られていたのは、きっと体育館だけではありません。 *心の奥にある「忘れたくない思い出」も、今夜、そっと確保されていました。* ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 夜の海に、心をほどく。隠岐の静寂、そして夜レクへ
夕餉を終えた生徒たちが、ふと外へ足を向ける。
するとそこには、音を置き忘れたような世界が広がっていました。 潮の香りは、空気の輪郭をやわらかくなぞり、 波の音は、まるで胸の奥をゆっくり洗うように届いてきます。 灯りの少ない浜辺には、夜の闇が深く、穏やかに沈んでいきます。 *都会では「騒がしさ」が日常のBGM。* でもここでは、*「静けさ」こそが音楽のように響いています。* 誰かが口を開く必要もない。 誰かが説明する必要もない。 ただその風景の中に、身を置くだけで、 *人間は自然と対話していることに気づきます。* このあと、各クラスは夜のレクリエーションへ。 でも、その笑顔の背中にはきっと、 *今、五感で吸い取った“静寂の記憶”が、そっと揺れていることでしょう。* ![]() ![]() 静かなる贅沢が如し![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() “静かなる贅沢”に向き合う??4組、味覚でたどる隠岐の記憶
3年4組の夕食は、まるで一つの儀式のように静かに始まりました。
浜辺で夕景に心をほどいたあとの食卓。 そこに並ぶのは、*隠岐の海と山が育んだ恵みの数々。* 特別に飾らなくても、*地のものが持つ力強さが、十分に食卓を満たしていました。* 生徒たちは、語りすぎず、笑いすぎず。 *“味わう”という行為を、しっかり自分の中に落とし込むような時間を過ごしていました。* 「食べる」という行為に、知識も言葉も要らない瞬間があります。 *ただそこにある味と向き合い、今を感じること。* 4組は、そんな“静かな贅沢”の中で、隠岐という土地を深く吸収していたように見えました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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