3年1組 羽衣荘での夕食体験![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() “一皿の文化財”を前にして、生徒たちは語彙を失った
3年1組が羽衣荘でいただいた、隠岐の島の晩餐。
そこにあったのは、もはや料理という名の芸術でした。 「白ばい貝」「真鯛」「炙り伊三木」?? その一つひとつに込められた手間と歴史、 そして、隠岐産こしひかりが持つ甘みと余韻。 *生徒たちはその“静かなる衝撃”を、語る言葉に迷いながらも、ひと口ごとに敬意を深めていくようでした。* ある生徒は箸を置き、こうつぶやきました。 「これが“地元の底力”ってやつか…」 その眼差しは、味覚だけでなく、 *この土地が誇る食文化・産業・環境全体への尊敬を物語っていました。* 食事はエンターテインメントではありません。 *それは“文化を体内に取り入れる行為”であり、学習の最も人間的なかたちでもあります。* こうした機会を提供してくださる隠岐の島町の皆様に、 心からの感謝を申し上げます。 *この島での一食一食が、確かな学びとなって生徒の中に根を下ろしています。* ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() “食”は教材??地域の恵みと向き合う、静かな探究の時間
本日、各クラスは分宿先にて、*隠岐の島町が誇る海の幸・山の幸を味わう時間*に入りました。
そのトップバッターは、3年1組が宿泊する羽衣荘さん。 献立の一端をご紹介すると、 「白ばい貝」「真鯛」「炙り伊三木」?? そして、それぞれにあしらわれた繊細な食材の数々。 *もちろんご飯は、隠岐産こしひかり。* すでに料理名そのものが“地名の誇り”を背負っており、 それを食すという行為は、*単なる食事ではなく“地域資源への理解”を伴う学習*へと昇華しています。 この地の自然、文化、技術が一皿の中に折り重なり、 生徒たちはそれを五感で“読む”という行為に入っています。 *口にするたびに、「この土地を知る」という探究が進んでいる。* この静かな学びが、今夜、彼らの記憶に確かに刻まれています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 十人十色の宿泊体験へ??“共に学び、個で深める”夜の始まり
先ほど、全クラスが無事ホテルに到着し、いよいよ宿泊フェーズへと移行しました。
ここからはクラスごとに分宿し、「一つの学年の中で、異なる物語が紡がれていく時間」が始まります。 昼間は、観光資源の分析、地域交流、お土産選びと、探究的視点が交錯する濃密な時間でした。 そして今、*その経験を一度“個”に引き戻し、クラス単位での再構築が始まろうとしています。* “十人十色”とは、単なる多様性の表現ではなく、 *ひとつのテーマに対する多様な視点の存在を認め、尊重するという教育的態度*でもあります。 それぞれの宿で、それぞれの色を。 仲間との語らいの中で、今日得た気づきを自らの言葉に変える生徒たちの姿は、 もはや“学びの共同体”として成熟を見せています。 体調不良者はなく、島の恵みを活かした絶品の夕食で、しっかりと英気を養っていきます。 *この一泊に、何を見出すか――それもまた、個と集団が育む探究の一部なのです。* ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 挨拶は対話の入り口。学びは、そこから始まる。
西郷港での自由散策中、数名の生徒が島民の方々と自発的に対話を交わしていました。
話題は偶然にも「農業」。しかし、それは単なる雑談ではありませんでした。 彼らは、墨江丘中学校で進めてきた*学年菜園での栽培経験*を踏まえ、 島ならではの気候・土壌・技術について具体的な意見交換を行っていました。 *問いをもって接すれば、出会いは“教材”に変わる。* 教育の本質が、ここにはありました。 この瞬間、生徒たちは 「教科としての農業」から「社会知としての農業」へと、視座を移しています。 *一方的に知識を受け取るのではなく、実践者と対話を重ね、理解を構築する。* それは、教育哲学者デューイが説いた“経験に根ざした学習”そのものです。 挨拶で終わらず、語り合い、学び合う。 そこには、*教科を超えた教育の深層が、静かに息づいていました。* ![]() ![]() ![]() ![]() |
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