音楽発表会 その2smile again(合唱) 小さな恋の歌(合奏) 全校合唱 希望の歌 音楽発表会3,4年生 あなたにありがとう(合唱) ドラえもん(合奏) 1,2年生 カルメン序曲(合奏) ありがとうの花(合唱) 戦火の敷津 最後の同窓会しかし前日3月13日夜 第一次大阪大空襲で 難波も大国町も敷津の町も一夜にして焦土と化し 卒業式どころではなく ほとんどの家が焼かれ 学校も焼失し 多くの命が失われ 町中に黒焦げの死体の山 戦後散り散りばらばらになった同期生が連絡を取り合い、昭和43年には50 名近くが再会して、敷津小学校で「30年後の卒業式」が行われ新聞各紙でも紹介されました それを機に、後世に自分たちの体験を残そうと手記をまとめられ、『ふるさとを失った十二才』として自費出版されました その本を職員室の本棚に見つけたのが赴任した2010年 そして2012年の学芸会で「三月十三日〜戦火の敷津〜」の上演が、当時20代の担任の熱い思いで実現しました しかし当時は、その本を書かれた方々と連絡をとるすべもなく、生きておられるのかもわからず、本に書かれたことをもとに脚本を作っていました 2014年も時の6年担任が思いを引き継ぎ、「戦火の敷津〜未来へ〜」を上演しました 2016年春 空襲当時4年生だったという辻和子さんから突然お電話をいただきました 大阪に住んでいるけれど、梅田も難波も天王寺も行くけど、大国町駅にはあの空襲以来、70年以上降りたことがない 80歳を過ぎて一度敷津を訪ねてみたいとおっしゃっていました 「戦火の敷津 2016」に際して、子どもたちが招待状を送りました しかしお怪我をされて動けないとのことで、ご丁寧なお手紙をいただきました そして学芸会で演じた子たちの卒業式直前に、やっと来ていただけることになりました 2年後の次の学芸会の時は、事前に語り部に来ていただきたいとお願いして、引き続きお元気でいらっしゃることをお祈りしていました そして2年が過ぎ2018年11月 ついに空襲の生の声を聴ける日がきました 戦争体験の語り部さんの話を聴くことじたい珍しい その上「ここの話」 自分たちの町の自分たちの学校の話 お相手は学校の大先輩 子どもたちはさらに迫真の演技に磨きをかけました そして そして 辻さんの弟さんが当時の6年生、しかもあの本を編集した明仁二三雄さんと懇意にしておられることがわかり 学芸会当日 自分たちが演じるその人が、74年の時を経て目の前に現れたのです 子どもたちは心をこめて力いっぱい演じました そして2019 今年は音楽発表会の年です(明後日!) ところが その明仁さんから「もう米寿を迎えて高齢になってきたので、今年で同窓会を解散することになって、最後に小学校で集まらせてほしい」と依頼があり、二つ返事で答えました 時は11月8日、音楽発表会の前々日 子どもたちは、合唱と合奏の最終リハーサルと、清掃準備の日です それでも何とか交流の場をもたせたい 子どもたちになるべく負担をかけずに そこで 先月、木津中学校の文化祭で「戦火の敷津」のプレゼンと歌「青い空は」(敷津バージョン)を発表してたものをリメイクして見ていただくことにしました せっかくの貴重な 奇跡的歴史的な交流の場面を記録に残してほしいとプレスリリースしたら 関西テレビ 読売産経毎日なんば経済新聞の取材を受けることになり せっかくの貴重な 交流の場に立ち合ってほしいと 地域の方々にも呼びかけたところ たくさんの町会の方々も 議員さんも区役所の方々も見届けに来てくださいました 昨年の5年生は、6年生として、75年前の6年生と対峙できたし 来年の6年生として、5年生の心に灯を点けることができました これで 平和のバトンをつなぐことができたと確信して いざ 戦火の敷津2020へ 戦火の敷津 1945-2019 最後の同窓会いよいよ音楽発表会 子どもたちのがんばりにご期待ください そして明日 学芸会で隔年高学年が演じる「戦火の敷津」の当事者の方々が 米寿を迎えられ同窓会で母校に集まられます 卒業式の前日が大阪大空襲 昭和20年3月13日 難波も大国町も敷津の町も一夜にして焼け野原となり 生き残った方々が連絡を取り合って毎年同窓会を続けてこられました 87歳となり、遠方の方もおられて 今回で同窓会を解散されるそうです そこで交流の機会をいただくことになりました 戦火の敷津 昨年演じた6年生と 来年演じる5年生が 75年前の6年生に出会います その方々を前に「戦火の敷津」のプレゼンテーションと歌を披露します 11:45~12:00 短時間ですが 奇跡的・歴史的な出会いとなることでしょう 産経・毎日・読売・なんば経済新聞 関西テレビの取材も入ります 週末の新聞・テレビにも注目してください よろしくお願いいたします 校長発 海遊館に行きました!海遊館見学の後はお弁当を食べて天保山公園へ。まずは渡船場へ行き、桜島へ行く船に乗りました。初めて船を乗る子も久しぶりの子も、気持ちの良い風や少しの水しぶきを浴びながら楽しくいい経験をしました。公園の天保山は4.53mの日本で2番目に低い山です。これが山なのか?子どもたちも驚きながら公園ではみんなあそびをして仲間とのつながりを深めて帰校しました。 |