クリスマスと原点 (校長室だより vol.68)私の小学生時代も、自宅にはクリスマスの電飾がありました。小さなモミの木に20〜30の電球がチカチカ灯るだけのものでしたが、先日亡くなった父が買ってきてくれる、今思えばそれほど美味しくないバタークリームのケーキとともに、クリスマス気分を盛り上げてくれました。私はなぜかこの光景をよく思い出します。わが家の、そして私自身の原点がそこにあるように感じるのです。 当時は、今ほど物が豊かではありませんでしたが、世の中全体に“あたたかみ”があったように思います。私が歳をとったからかもしれません。でもやはり、質素な感じがあったものの、夢や希望もたくさんあったように思います。 技術の進歩は、多くの便利さを私たちにもたらしてくれました。それを否定するつもりは全くありませんが、よく言われるように、人の進歩が技術のそれに追いついていないようにも感じるのが残念です。子どもたちには、自分の原点となる“今”を大切に過ごしてほしいと願っています。 はるか宇宙へ (校長室だより vol.67)宇宙のことを考えていると、世の中の出来事がちっぽけなことに思えてきます。気分が落ち着き、ちっぽけなことに悩んでいた自分に気がづき、困難に立ち向かう勇気もわいてきます。 われわれの周りには、様々なストレス要因があります。避けて通ることは難しいでしょう。現代社会ではそのストレスとうまく付き合うことが重要だと思います。子どもたちにも、きっとあるはずです。子ども自身で気分転換できない場合は、おとなが関わってやる必要があります。 常盤の校区では、なかなか星空をじっくり眺められないかもしれませんが、何かの機会にご家族で星空を眺め、はるか宇宙へ思いを馳せるのもよいのではないでしょうか。 「子育て卒業生」より (校長室だより vol.66)家族のあり方や子育ての方針は、様々あってよいものです。ここでは、私なりにしてきたことを記します。 子どもを授かったとき、心に誓ったことがあります。それは、決して子どもを自分の持ち物のように扱わないということ。一人の人間としてとらえ、自立した社会人として成長するまで、親としてできることを支援していこうと考えました。当然、幼い時は多くの支援が必要ですが、成長とともにどこまで支援すべきかを常に意識し、本人たちができることは自分たちにさせました。 私の考えは、子どもたちにも伝わったようです。進学や就職時、いつも第一志望に進めた訳ではなく挫折もあったでしょうが、自分自身を客観視しながら本人なりの進路を考えていました。成長するに従って、私がすることはアドバイス程度で、最終決断は本人たちに任せました。彼らの人生ですから。 わが家の子育てがうまくいったとは、まったく思いませんが、現在も、自らの進むべき道をしっかりと定めて生きている彼らを私は誇りに思っています。(親ばかと言われても) 子育て卒業生 (校長室だより vol.65)今振り返ってみると、共働きだったこともあって、わが家も毎日があっという間に過ぎていきました。でもとても楽しい20数年間でした。私は、子どもたちをいかに自立させるかを意識しながら育てました。それがあってか、19歳と15歳で子どもたちは家を出ました。他のご家庭より少し早いので、一抹の寂しさはありましたが、どこに住んでいるかより大切なのは家族の絆だと考えます。 保護者のみなさまには、毎日が大変お忙しいとは思いますが、可能な限り子どもたちと関わる時間を作り、充実した子育て期間を過ごしていただきたいと思います。いつかは終わってしまいますから・・・。 地下鉄の車内にて (校長室だより vol.64)途中の駅から小学校中学年くらいの子どもたちが、乗ってきました。服装を見るとどうやら社会見学に行くところのようです。1両に2クラスが乗車してきたので、車内はすぐに満員になりました。 担任の先生は、穏やかな口調で車内のマナーについて指示をしました。するとどうでしょう。子どもたちが一斉に静かになりました。先生が厳しいので静かにしているのではないことは、子どもたちのとても楽しそうな表情からすぐにわかります。しかし、「ワー、ワー!」とはなりません。電車が揺れても他のお客さんに迷惑にならないよう、一生懸命踏ん張っています。名札を見ると、堺市立の小学校でした。 私は、先に降りましたが、清々しい気分で出張先に向かうことができました。 |
|