学校日記

「あの日を忘れない。」 自分の命と、人の命を守る大切さを胸に。

公開日
2025/01/15
更新日
2025/01/15

お知らせ

 本日、避難訓練がありました。

 授業中に地震が発生し、運動場に一時避難する訓練です。さらにその後、津波が襲ってくることが分かり、校舎の3階に避難するという設定です。

 子どもたちは、遊び気分ではなく、真剣に訓練に取り組んでいました。それもそのはずです。「南海トラフ地震」が、近い将来かなりの確率で大阪市にも被害をもたらすといわれています。

 ですから、普段からしっかりした訓練を行って、自分の命は自分で守る方法を学んでおくことが重要なのです。

 私は、今から30年前の1995年1月17日に、神戸で阪神淡路大震災を経験しました。

 私が勤務していた神戸市立六甲小学校付近(灘区)では、多くの家が倒壊し、大火災が起こりました。それは、目のまえで起こった悪夢のような時でした。

 六甲小学校に避難してきた人の数は、2700人。神戸市でも、大規模な避難所となりました。そこで私は、1か月以上自分の家に帰らず、被災者の方の支援活動を行いました。

 毎日が死にもの狂いの日々でした。それでも、何とか被災した方々と励ましあいながら、大地震を乗り越えることができました。苦しい日々でしたが、毎日のように神戸の人たちのあたたかさに触れて、何度も涙したことを覚えています。

 あの頃教えていた子どもたちも、41歳になります。「あの時、大震災を生き延びて良かった。」と心から思います。

 と同時に、亡くなった6343人の方々のことが、頭から離れません。私の近所の優しかった人たちも、何人も地震の犠牲になりました。教室の机の上に飾られていた花。今でも、脳裏によみがえってきます。「みんな、もっと生きたかっただろうに・・・。」

 そうした方々の思いを、これからも絶対に風化させてはいけない。校長として、教師として、これからも子どもたちに防災教育を行い続けていきたい。

 今、あらためて、そう決意しています。

 2025年1月17日・・・。神戸は、あの阪神淡路大震災から30年目をむかえます。