学校日記

4年生 社会「大和川のつけかえ」

公開日
2024/11/27
更新日
2024/11/27

4年

 4年生は社会科の学習をしていました。昔、大阪市の南の方まで、河内湖という海があり、その海に突き出していた陸地が上町台地でした。ちょうど、阪和線の西あたりから、天王寺区、大阪城にかけて少し高くなっています。ですからその高いところを川は流れませんので、昔は北に向かって流れていました。
 その川が運んだ砂や土で東住吉区から生野区や東成区などの平野ができてきました。昔、海だった所ですから低地の平野です。洪水が起これば大和川の堤防が切れて、田や畑は水浸しになります。おまけに大和川は天井川ですから洪水とともに土砂も多く流れます。
 そこで、江戸時代に東の大阪湾に流れるように付け替えました。主に、池や低い場所を掘って川にしていったそうです。もちろん住んでいた人もいましたから、困ったことも起こったのでしょうね。今川、鳴門川、駒川、もそれに関係しているかもしれません。江戸時代は、今川小学校の周りは、どんな様子だったのか想像できるかな?