疲れたときや元気が出ないときに
これさえあればエネルギーを取り戻せる、というものを皆さんもお持ちだと思います。
私の場合は、がんばっている人たちの本だったり、ドキュメンタリーだったり、もっと具体的には、スポーツの名勝負の中の名選手、音楽なら名演奏をしている演奏家・作曲科、映画なら出演者や監督などの生き様を見聞きすることです。
学生時代に出会ったこの本は、最初に出会ったその部類のものでした。
小澤征爾氏は、20代後半でヨーロッパに渡り、日本で受けた音楽教育を自分の拠り所として西洋の文化に立ち向かっていきます。俺の音楽が西洋で通用するかどこまで上り詰めることができるか。
最後には、ウイーン国立歌劇場の音楽総監督を務めたことは、ご存じの通りです。
その胆力は並大抵のものではありません。
・・・
この本と小澤征爾の生き方は私の力のもとになってくれました。
母の思い出
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母は書を嗜んでいました。
父の転勤で東京に出たのを機に
良い先生に習いたいと、どういうご縁から桑原翠邦という、たいそう立派な書家に習うことが出来たのです。
東宮御所書道御進講(天皇陛下の先生です。当時は皇太子でいらっしゃいました)にもなった人でした。
この先生の教室に通い始めて数年後、
私が芸術大学に進み、しばらくした頃。
書道教室から帰ってきた母が顔を真っ赤にして
嬉々として話しはじめました。
「今日、教室で誰にあったと思う?」
「小澤さくらさんっていう人とあったの。
さくらさんは、あの小澤征爾さんのお母様。」
びっくりしている私に向かって
「あなたが音楽をしていることを話したら、
“あら、じゃあ征爾に聴いてもらったら”
といわれたの!!聴いてもらうでしょ!!」
何ということでしょう。
あの尊敬してやまない小澤征爾(偉大すぎる人には恐れおおくて“さんづけ”なんてできません)に自分の演奏を聴いてもらえる機会がくるとは。
ところが、当時の私は愚かでした!不遜で傲慢でした。
「小澤征爾に聴いてもらうなんて無理だよ。まだそんなにうまく演奏できない」
と、言ったのです。
では、いつになったら聴いてもらえるほど上手になるのでしょう?
上手になるって、そもそもどのくらい上達することなんでしょう?
小澤征爾に褒めてもらいたかったのでしょうか?
彼から何かを習いたいとは思わなかったのでしょうか?
・・・
私は、小澤征爾氏と縁を結べなかったのです。
今でも後悔しています。
自分がどれほどの者か分かりもしないのに、少し上手になれば、小澤征爾に聴いてもらえるほどになるとでも、ほめてもらえるとでも考えていたのでしょうか。
この時のことは、チャンスをつかめなかった後悔としてではなく、母を落胆させ、悲しい思いをさせてしまったことへの大きな大きな後悔として思い出されます。
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人と縁を結ぶこと
人生を決定づける瞬間を逃さないこと。
もし、あのときに・・・・という後悔をしないために
ちょっとした躊躇に負けないように、
常に成長の途上であることをわすれないように
ことがあるたびに「あの時の母のこと」を思いだし、気を引き締めてています。
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