学校日記

今日の一言 8月6日 番外編(5) ヒロシマ(3)

公開日
2021/08/06
更新日
2021/08/06

校長雑感 一隅を照らす

「立川の陸軍航空隊からは、特攻で何人もの戦友が飛んで散っていきましたが、私は行くことなく助かりました。原爆投下の後、広島に戻ったのは、8月の終わりでしたか、いや9月1日だったかな・・。。」

「勿論、今立っているところには何もありませんでした。ここから、比治山、宇品の方まで見えました。とにかく悲惨なものでした。家族は全滅です。」

「私は広島から東京に再び戻り、商売を始めました。順調でした。ビルを建てるほどになったんですよ。でも、東京には友達もいないし広島に帰りたいと家内が言うので、全部引き払って、ここに戻ってきました。原爆ドームが見えるところにしようと、川向こうの本川小学校のすぐ横に住んでいます。そこもビルです。細長いですが。毎朝、8時15分には散歩に出て、平和公園をぐるっと周るんです。」

 ・・・(返す言葉は浮かびませんでした。)
    ところで、広島で是非、見ておいた方がいいというところはありませんか?

「比治山の陸軍墓地に行ってみてください。」

「国を守るため、宇品港から出征した全国各地の兵隊さんのお墓があります。しばしば行きます。兄の墓もあります。あそこに行くと、戦争はもうこりごりだと思いますね」

* * * *

まだまだお話を伺いたいという想いを残しながら、またいつか平和公園で会いましょう、と約束してお別れしました。

私は、その足で「国立原爆死没者追悼平和祈念館」に行きました。
https://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/

ひょっとしたら、この方のご家族のお写真を見ることができるのではないかと思ったからです。

この施設は、原子爆弾死没者の尊い犠牲を銘記し、追悼の意を表すとともに、永遠の平和を祈念するため、国によって被爆地である広島と長崎に建てられました。

近代的な建物です。地下に通じる大きく円を描くスロープを下りていきました。
そこには原爆死没者検索装置と呼ばれる個々の死没者をお名前から検索できるシステムがあります。

・ ・ ・ ・

彼の父母、兄弟姉妹の皆さんの写真を見つけることは、そんなに難しいことではありませんでした。苗字をインプットし検索するとすぐに見つかりました。住所も間違いありません。どこでどのように亡くなったか・・記載がありました。

どこか遠くのお話しのようだった彼から聞いた話が、ご家族の写真を見ることで突然身近に迫ってきました。

私は、1泊2日のつもりだった広島滞在をもう一日延ばすことにしました。
そうです、比治山に行くために・・・
・・・
翌日、広島滞在の三日目。
90歳の息子さんとそのお母様とお父様、そしてご兄弟に導かれるように比治山に登りました。

比治山の陸軍墓地は、真田山の陸軍墓地にとても似ていました。
立ち並ぶ灰色のお墓の合間合間に、出身都道府県の名が白く見えます。

遠くに宇品港を見ながら彼の言葉が蘇ってきました。
「国を守るため、宇品港から出征した全国各地の兵隊さんのお墓があります。しばしば行きます。兄の墓もあります。あそこに行くと、戦争はもうこりごりだと思いますね」

※前任校で修学旅行先を「伊勢志摩方面」から「広島・宮島」へ変更しました。その頃に書いた「校長雑感」です。


写真↓ 比治山の陸軍墓地から遠く宇品港を臨む