学校日記

うれしいなあ。ありがたいなあ。

公開日
2020/05/03
更新日
2020/05/03

すくすく、長吉南っ子!

じどうのみなさんへ

 かんしゃは たいせつだけれど、ひとからそうしろといわれたり、「やらなくちゃ」とむりにおもうものとは ちがうきがします。
 かんしゃも、ほかのいろいろなことも、なやみながら さがすのではなくて かたのちからをぬいて、いまのせいかつを みつめてみると、たくさんのことにきづけます。
 ほんのちいさなもの、たとえば、かみいちまい、えんぴついっぽん、けしゴムいっこのなかに、どれだけのひとのどりょくと こころがこもっているか。
 こうちょうせんせいは いつもおもいます。もし、じぶんでつくったら、ぜったいに こんないいえんぴつを こんなねだんではつくれないなぁって。
 それぞれのプロが、たくさんのくふうをこめて、どうしたらつかいやすいか、どうしたらよろこんでもらえるかと こころをこめてつくったもの。
 そんなものが めのまえに たくさんそろっていること。それだけでも、どれだけぜいたくなことか。
 かんしゃ、「ありがとう」のいみは、「あることがむずかしいこと」、あたりまえではないということ。
「かんしゃ」はしなくてはいけないものじゃない。ただ、うれしいなあ、ありがたいなあと ただかんしゃしたいから、する。じぶんがそうしたいから、する。それだけで じゅうぶん。

「ごはんがたべられること」
「ごはんをつくってくれるひとがいること」
「ごはんのざいりょうをうってくれるひとがいること」
「ごはんのざいりょうをはこんでくれるひとがいること」
「ごはんのざいりょうをつくってくれるひとがいること」…

 うれしいなあ。ありがたいなあ。