学校日記

12/23 終業式

公開日
2024/12/25
更新日
2024/12/25

校長より

 4限目に終業式をおこないました。体育館を予定していましたが、インフルエンザが流行していることもあり、Teamsで行うことにしました。
 賞状の伝達(剣道部、男子バドミントン部、吹奏楽部、鶴見区写生大会、税の作文)と校長講話をおこないました。

 校長講話(要約)
 今日は、かつてプロサッカーで活躍した、中田英寿選手の話をしたいと思います。ヒデの愛称でワールドカップに3度も出場したサッカー界のレジェンドです。彼は、高校時代、サッカーだけではなく、学業成績も優秀であったので、担任の先生は、大学進学を強く勧めたそうです。しかし、中田選手は、「大学はいつでも入れる、サッカーができるのは今だけだ」と答えたそうで、結局、大学には進学をせずにJリーグ入りを決め、ベルマーレ平塚に入団しました。そして、プロ選手最初のシーズンから活躍し、2年後には日本代表の司令塔を担う選手となります。
 中田選手は、高校時代には将来イタリアのプロサッカリーグで活躍することを視野に入れていて、イタリア語を勉強していたそうです。彼は、3年間ベルマーレ平塚でプレーした後に、実際イタリアのペルージャというチームに移籍しています。そして、イタリアへ渡って1か月後には通訳なしで会話できるようになっていたということです。その後、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ロシア語にも挑戦し、会話ができるようになったということです。サッカー選手を引退してからは、優れた語学力を生かして、しばらく海外で放浪の旅をして、見聞、知見を深めてきました。現在では、日本の伝統工芸や日本酒のPR活動を行うなど実業家として活躍しています。
 そんな中田選手が雑誌の中でこのようなことを話しています。「人生には二つの教育者があると思います。一つは、私を育ててくれた親であり、いろいろな知識を与えてくれた学校の先生です。もう一つの教育者は、自分自身です。人生で最大の教育者は、自分自身だと思います。いくら先生や周りの人たちが、私にいろいろなことを教えようとしても、私自身がそれを聞いて、自分を変えたり、考え直したり、自分を鍛えなおしたりしようと思わない限り、成長はなかったと思います。サッカーをしていて、良いことも、悪いこともありました。でも、どんなことでも将来、自分が成長するためになるんだ。と思って続けてきました。困難ぶつかったときやうまくいかなかった時に、過去のせいにしたり、他人のせいにするのではなく、人や物に責任を転嫁することを捨てた時こそ、人生は好転するものです。うまくいかない時に他人や環境のせいにする人間は、幸せになれないと思うのです。」このような内容の話でした。自分の考えをしっかりと持ち、自分の目標に向かって挑戦を続ける中田選手らしい話だと思います。
 これから、みなさんが、困難や逆境にぶつかったとき、「自分には無理。こんなことできない。」と思って、あきらめ、そこから逃げようとするのか、それとも、周りの人に助けを求め、協力をしてもらいながらでも、何とかしようと立ち向かっていくのか、どちらを考えるかで人生は大きく変わるものです。自分を、成長させる最大の教育者は、このような自分自身のポジティブな考え方なんだと中田選手は言っているように思います。茨中のみなさんも、家の人や先生など人の話を聞いたり、また本を読んで、自分の考えを持ち、時には自分の考えを改めながら、自分を教育できる人に成長してほしいと思います。