3月6日(金) 朝のあいさつ
- 公開日
- 2020/03/06
- 更新日
- 2020/03/06
お知らせ
おはようございます。
学校休業中にみなさんにぜひ紹介したい話があります。
高校生のときにはまって、よく読んだ本です。 團伊玖磨 『パイプのけむり』です。
その中の「神々の朝」を紹介します。
時代背景は、昭和の時代で、コンタクトレンズなども高価であった時代です。3人の幼い子どもを一人で育てている女性の話です。
強度の近視のため、仕事も生活も充分にできないのですが、仕事に励み、乏しながら生活もようよう安定してきました。3人の子どもたちは、お小遣いをため、お母さんのためにコンタクトレンズを買いました。優しい子どもたちの愛にとり囲まれている幸福なうれし涙と、異物をはじめて眼に入れた痛みの涙は、混ざり合いながら、おばさんの頬を伝わって流れるのです。
ある日、仕事帰りの雨の夜更け、道の穴に足を取られて、ひどく転びました。コンタクトレンズも飛んでしまいました。一時間、二時間と人通りの無い夜更けの道路で、四つん這いになって捜し続けていましたが、見つかりません。突然、ぼんやり人影のようなものが立っていて、その人影は、「この夜更けに、何をしていられますか」と静かにたずねているのでした。落ち着いた老人の声でした。おばさんは、一部始終を話しました。老人は、「それはおきのどくです。私も捜してしんぜます」と静かな口調で言い、捜し始めました。刻々と夜明けが近づいています。「ありました」突然、老人が声をあげました。夜明けが迫っていました。東の方の空が少し薄明るくなってきました。「あった」老人の声が向こうの方でしました。二つのレンズは、おばさんの手に戻ったのです。親切な老人は、名前も告げずにさって行きました。おばさんの眼には、朝明けの光が東から射し始めるのをバックに、白髪の品の良い老人が立ちさって行く姿が見えました。昇ってくる太陽の光の征矢(そや)が、神々しく、消えていく老人の姿を包んでいました。
おばさんは、この時、突然、この老人こそは、神ではなかったと思ったそうです。
僕(團伊玖磨)も、この老人は神であったのだと思う。
緑中学校は、「人にやさしい学校づくり」をめざしています。学校休業中でストレスもたまることでしょう。また、3年生は、受験前で、不安な日々を送っているのではないでしょうか。しかし、このようなときこそ、人にやさしい気持ちをもってください。
「いっしーカード」
「幸せにはなるものでなく 気づくもの」
・緑中学校の生徒、教職員、関係者であることが幸せ