6年「改めての感謝」
昨日のダンスはいかがだったろうか?
出来はどうでもいい。 問題は、自分で振り返ったときに「本氣」になって取り組めたかどうかである。 台風の影響で昨日開催になってしまった第63回運動会。 それでも多くの方々が来てくださった。 特に、屋根もない中、ずっとタオルを頭に被りながらカメラを持ち続けていた方。日焼け対策でとても暑い中、フル装備で観覧に来てくださった方など…。 保護者の方々には、いつも暖かさがあり、感謝感謝である。 5、6年のダンスの後、幾つの「ありがとうございました」を聞くことができたか? 何回握手をさせていただいたか? 数えきれないほどの思い出をいただいた。 私たちは、そんな暖かい方に囲まれて、日々の楽習に取り組めているわけだ。 今日からは、「スポーツの秋」から心を入れ替えて勉強モードへ。 中学への架け橋として、しっかりと学んでいってほしい。 さあ、六年生、早く気づいてほしい。勉強はやらされるものではない。本氣で勉強すると、見える世界が変わって、面白くて仕方がなくなる。 私は、それを気づかせられるように努めていくつもりであるが、今一度、「勉強は誰のためにしているのか?」について考えてほしい。 今回の運動会で、保護者の方はもちろん、たくさんの地域の方々にも感謝申し上げたい。我々はこういう方々に支えていただいている。 そのありがたみを噛み締めながら、学び合っていきたい。 あと半年で卒業…。 5.6年 運動会「本氣」って何だろう?
我々のダンスは映画「グレイテストショーマン」の曲を使ったものになっている.
今度発行する学年だよりには,どんな想いでつくったのかを書いたので,このホームページを見てくれた方限定で,あまり触れなかった「本氣」の部分に関して述べたい. みんなは,これまでに本氣になって取り組んだ経験があるだろう. サッカーで本氣になって戦った. きれいな声で本氣になって歌う. 声を本氣になって出した. できることなら,32通りのダンスをして,誰もが「やれてよかった」と思える機会にしたいのだが,現実的には難しい. では,それが叶わない現実では,本氣になるということは不可能なことなのか? そうではない. これから,学年が上がるにつれて,仕事をかせられることが増えてくる. そのときに,「ちょっとしんどいかもしれないけど,頑張ってみよう!」と,前向きに頑張れる32人になってほしいと考えている. 「本氣」この言葉を使うからには,みんなのもってる力を最大限に発揮して本番のダンスに臨まなければならないのである. もし本氣で取り組んだ暁には,本氣で取り組んだ人にしか味わうことのできない達成感という感覚が訪れることになるだろう. どうか,60人全員で「本氣」が出せるようになってほしいと心から願う. 6年 算数「先を見通すことを大切に…」
子どもたちと拡大図と縮図の学習をしている.
子どもの意見を聞くと本当に面白い. だって,私が想定していたことを遥かに超えてくるのであるからである. 「拡大図がかけるのなら,縮図だって簡単にかけるよ!要は,比が同じならいいんでしょ?」 あー,教科書に載ってることが自然と言えるようになってきているなぁ. それとも,私がちゃんと聞けてなかったのかな?? とにかく,彼らの発想は面白い. あとは,時間をたっぷり確保できればなぁ…. 課題はまだまだ多い. ※写真は、先週と今日の板書を載せている. 6年 朝の学習 BMC
朝のモジュール学習で1日元気にスタートです!
6年 学び合う練習問題
練習問題を解くときに、1人で黙々と学習していくことはよくある。たとえば、宿題なんかがそれだろう。
しかし、それは決して楽しめる、いわゆる楽習できるものではない。(気付くまでは…) 学び合いとは、ほど遠いものである。よく、「学び合いをする場面とそうでない場面があって、練習問題は後者の場…」と言われることがある。これは納得しているつもりであるが、学び合いを追求しなくていいのか。と考えてしまう自分もいる。 今回の楽習は、班単位で練習問題を分担(全員に解いてほしい問題を除いて)しながら問題に挑戦してみた。さらに、写真のように、白板に現況を可視化するようにしてみた。 すると、子どもたちが、終わるためとはいえ、分かるところを教え合い、解き方を伝え合い、(見たくない問題を)譲り合い…。笑 なーんだ、勝手に学びあってるじゃないかと思っていた。 それならと思い、白板に「答え合わせもしてね」と書いて答えだけを提示してみた。 すると、やはり「えー、合わないよ。なんでだろう。なんでだと思う。」と、学びの深化が始まっていた。 6年生のみんなは、本当に大切なことを教えてくれる。 |
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