「明治めいじん」 その6 解答編ずっと昔、日本や中国でほとんどの人が農業で生活をしていたころは、農業と天候や季節には深いつながりがありました。寒いと作物が育たないし、暑くても田んぼの水がなくなって作物が育ちにくくなってしまいます。そこで天候や季節の順番を分かりやすくする暦(れき)という、今で言うカレンダーのようなものが考えられました。昼と夜の数を計算して、次の雨が降(ふ)る日や嵐(あらし)が来る日を予想したということです。 中国では元々(もともと)木星を大切な星だと考えていて、木星が12年で太陽を回ることから、12という数字が時間を考える基(もと)になっていました。1年も12ヶ月だし、1日にも12の時間があると考えられてきていました。分かりやすいように、それに動物を当てはめて「子(ね=ねずみ)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う=うさぎ)、辰(たつ=龍(りゅう))、巳(み=へび)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり=にわとり)、戌(いぬ)、亥(い=いのしし)」という名前をつけたということです。 今では年のことでしか干支(えと)を使わない人が多くなりましたが、暦を大切にしていたころは、干支は暮(く)らしになくてはならないものでした。お昼の12時を「正午(しょうご)」というけど、この「午」は干支の「うま」のことですし、野球でおなじみの甲子園球場(こうしえんきゅうじょう)の「子」も干支の「ね」から来ているということです。 |
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