1月16日(月)、今日の児童朝会は、校長先生から22年前の1月17日5時46分に発生した
「阪神・淡路大震災」のお話でした。
当時の映像写真を見ながら、大震災の様子とボランティア活動に参加した経験についての話でした。新聞記事
「助けたい 弟の分も」の紹介【関連記事に掲載】では、児童全員が静かに聞いていました。6,433人が亡くなり、13万人が避難を強いられたという大きな被害があったということを、後世に引き継いでいくことが大切と思います。
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平成29年1月12日 朝日新聞「我がことに阪神大震災22年」より
「助けたい 弟の分も」
22年前、神戸市のJR鷹取駅の近くに住んでいたSDさん、当時小学校1年生。父と母、3歳の弟と1歳の弟との5人暮らしだった。
1月17日午前5時46分。ゴー。下から突き上げる縦揺れに襲われた。自室は木造アパートの1階。家族全員が天井の下敷きになった。「地震」が理解できず、ウルトラマンの怪獣の仕業だと思った。
闇の中で、「どないや」と聞く父。「痛い」と母。3歳の弟の泣き声が響いたが、1歳の弟の声は聞こえない。その泣き声は1時間ほど続き、やんだ。
助からないかも。そう思ったとき、上から声が降ってきた。駆けつけた伯父たちだった。発生の6時間後に、小学校1年生のDさん、8時間後に父、12時間後に母が救出された。その直後、3歳と1歳の弟2人が埋まったままの自宅が炎に包まれた。(中略)
震災の数週間後。焦げた臭いが漂う焼け野原を、祖母に手を引かれて歩いた。「この子の弟たちを捜してやって」。捜索中の自衛隊員に祖母が頼んだ。Dさんが案内役になり、アパートの自宅玄関跡にたどりついた。「向こう、行っとき」。隊員に促されたが、遺体が見つかると、思わず駆け寄った。
1歳の弟は小さな骨だけだった。3歳の弟は顔と髪の一部が残っていた。3歳の弟が寝る時にいつも握っていた仮面ライダーの人形が一緒に出てきた。「ああ、弟なんやな」(中略)
その後、Dさんは18歳になったとき、地域の消防団員になり、会社勤めのかたわら、火災現場に何度も出動し、「弟たちの分も人を助けたい」という思いで、消防活動に参加している。
昨年9月に。神戸を拠点に震災を語り継ぐ「語り部」のボランティアを始めた。地震がどれだけ強かったか、震災がどれだけ怖いか、阪神大震災を全く知らない世代にどこまで伝わるか不安もある。でも「家族を失ったり、家族が傷ついたりするのが一番つらい。次の災害で同じ思いをする人ができるだけでないように、自分の言葉で伝え続けたい」そう、弟たちの分も。