1月23日(月)、今日の児童朝会は校長先生から
「阪神淡路大震災1.17のつどい」について、お話がありました。新聞記事
「弟よ、家族が増えたんだ」の紹介【関連記事に掲載】のあと、神戸市の東遊園地にある震災のモニュメント「1.17希望の灯り」の話もありました。
朝会の最後は、給食委員会の児童から、1月24日からの
「全国学校給食週間」と、給食の始まりについてお話がありました。
「1.17希望の灯り」
1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災
震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出
…たった1秒先が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは 奪われたすべてのいのちと
生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ
関連記事
平成29年1月17日 毎日新聞「22年 伝える決意」より
「弟よ、家族が増えたんだ」
竹灯篭にともされた明かりが、写真の中の幼い2人の顔を柔らかく照らした。東遊園地(神戸市の公園)を訪れた神戸市長田区のSDさん(29)は、あの日犠牲になった2人の弟に心の中で語りかけた。「ヒロ、トモ。また今年も会いに来た」。隣には昨年結婚した妻Nさんが寄り添う。「家族が増えたんだ」。
あの日、長田区の自宅は全壊し、家族5人全員が生き埋めになった。両親と小学1年だったSDさんが救出された時、弟のヒロ(当時3歳)とトモ(同1歳)はまだ家の中にいた。そこに火災が襲ったという。
仮設住宅で学生ボランティアらと遊んで、ふさぎ込みだった自分を変えることができた。「お返しをしなければならない」と常に思っている。18歳になり地域の消防団に入った。(中略)
昨年12月、東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」をNさんと訪れた。たくさんの犠牲者の名前が刻まれた空間が「息苦しくなる」とほとんど訪れたことがなかったが、妻には見せておきたかった。「ヒロとトモ、あそこや」。弟2人の名前が刻まれた銘板を一緒に見上げた。「また、新しい家族ができたら、紹介しよう」と2人で約束した。
脳裏に焼き付いた光景がある。震災から3週間後、自宅があった場所を訪れると焼け野原になっていて、自衛隊員が家を掘り返していた。小さな遺体が見えた。ヒロちゃんが好きだった仮面ライダーの人形があって3歳の弟とわかった。「向こうへ行っとけ」と自衛隊員に目隠しされてからしばらくの記憶はないが、それだけは忘れられない。
自分が知るそんな経験を伝えていこうと昨年、神戸市の語り部グループに入った。17日は母校の中学校で全校生徒に向けて語る。「大切な人を失ってしまったこと。今後の災害に備えるためにも、阪神大震災を全く知らない次の世代や知らない人に共感し、受け止めてもらえたら」と願う。