青い目の人形 6年生それは、「青い目の人形」のことです。 1945年に太平洋戦争が終わってから、今年は70年の節目の年です。 朝日小学生新聞では、年間通して、戦争や平和について考え、記事にされるそうです。 「青い目の人形」は、1989年(平成元年)、本校の校舎建て替えの降りに発見されました。「青い目の人形」は、日米の関係が悪化して米国各地で日本人排斥運動がおこった1926年(昭和元年)に、親日家の宣教師シドニー・キューリックさんが友好親善のために日本へ贈ろうと全米に呼びかけ、1927年(昭和2年)、日本各地の小学校、幼稚園に約12,739体(横浜市・横浜人形の家調べ)贈られてきたものの一つです。 しかし、その後、日米で戦争が起きました。「敵性人形」として多くが焼却処分され、終戦までに人形の大半が処分されたようです。現在、全国に残っている『青い目の人形』(友情の人形)は、約330体(みやぎ「青い目の人形」を調査する会調べ)が確認されているだけです。 2002年(平成14年)、ロサンゼルスにある全米日系人博物館の『友情のパスポート展』に出演するため、本校の「青い目の人形」も里帰りしました。その折、孫のシドニー・キューリックさんが新しい親善人形「マリア」をプレゼントしてくださいました。マリアのために、特別に作られたナイトガウンや旅行かばん、パスポートも添えられていました。 「青い目の人形」と「マリア」は、海老江西小学校の宝物です。人形を通じて、平和や人を思いやる心を伝え、二度と不幸な歴史を繰り返さないように、大切に保存していきたいと思っています。 わくわく給食3回目の交流は、子ども達だけでなく、給食調理員さんや事務職員さんなど、教職員も一緒に楽しい会食をしました。 異学年(1年と4年、2年と6年、3年と5年)と教職員の交流給食のねらいは、次の通りです。 ○他の学年と共に給食の準備をしたり、食事をしたりすることにより、より深く相手を理解し、仲良く助け合っていこうとする気持ちを育てる。[社会性] ○普段、給食時間を一緒に過ごすことの少ない教職員や異学年の友達と、楽しい会食の時間を過ごす。[食事の重要性] 給食調理員さんの感想です。(1・4年生) ○子ども達がお迎えに来てくれました。配膳をしているとき、「おかわりは、低学年が先やで。」と、優しく声をかけていました。楽しかったです。 6年生を送る会 その5退場では、幼稚園の子ども達がアーチをもって 「ありがとう」の気持ちを伝えました。 交流給食の時間に6年生に一言インタビューをすると、どの子も開口一番に ○うれしかった! ○感動した! ○歌を聴いてたとき、涙が出てきた。 ○予想してたよりも、すごくうれしかった! 6年生がこんなに喜んでくれて、うれしいね。 6年生を送る会 その4とてもきれいな声で歌っていました! 6年生は、ダンスと合奏で、在校生にお礼の気持ちを伝えました。 舞台で、実に生き生きと歌いながら踊る6年生は、輝いていました! そして、手作りのぞうきんもいただきました。 ありがとう、大切に使います。 6年生を送る会 その3みんなで作ったメダルと寄せ書きをプレゼントしました。 6年生、とってもうれしそう! |