遅刻・欠席の連絡は、ミマモルメをご活用ください。

2年 パソコン室へ行きました!

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時間割が決まり、早速
パソコンを使って時間割表を作成しました。
パソコン室の決まりやマウスでの操作の仕方を聞き、
約束を守って学習を進めることができました。
1組と2組の友だちがペアになり
互いに声を掛け合っての協働学習。
分からない事もすぐに尋ねる事ができるので、
安心して取り組む事ができました。

いよいよ、学習が本格的に始まります!
前日に学校の準備をする習慣を大切にして
忘れ物のないように気をつけましょう!


1年生 鉛筆の持ち方を習い、直線・曲線を書きました。

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「えんぴつなんて持てるでえ!」そんな声がたくさん聞こえてきました。
一人一人持ち方を観察していくと、中指を鉛筆の上に乗せる子が何人かいました。中指は鉛筆の下にくるように持つことを意識して、書けるように指導していきます。
また、書くときの姿勢は背中まっすぐ、足ぺったんで、ノートに顔が近づきすぎないようにも気をつけて指導していきます。
「はやくテストやりたい!」といつも意欲満々の子どもたちです。

6年生国語科「つないで、つないで、一つのお話」

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6年生はさっそく、津田先生と北野先生のクラスに分かれ、少人数授業で国語の学習をスタートしています。
今日の学習は「つないで、つないで、一つのお話」
最初と最後の一文を決め、5〜6人のグループになって一文ずつ順につないでお話を作る学習です。
自分なりに展開を想像しながら一文を付け加えていくのですが、予想とは異なる展開になったり、前に言った人の意図を汲んで話を展開させたり。
どのグループも、どきどきしながらもできあがっていくお話のおもしろさに、笑いの絶えない授業となりました。ご家族でも2周つないで話を作るなど、この学習と同じようなゲームをすることができます。是非やってみてくださいね。

3年生以上の国語科・算数科では日常的に習熟度別学習がおこなわれています。

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本校では大阪市教育振興基本計画や、学校経営基本方針に則って、3年生以上の国語科・算数科では指導形態を工夫しながら授業をおこなっています。

指導形態は主に4つあります。

1.ティーム・ティーチング
複数の教員が1つの学級集団の中で役割を分担しながら授業をおこないます。
T1教員が一斉指導を行い、T2教員が机間指導を行ったり、
同じ教室の中で2つのコースに分けて指導することもあります。
また、学級担任がT2となり、習熟度別担当教員がT1をするなど、常に役割を明確にし工夫しています。

2.単純分割少人数授業
学級集団を単純に2分割し、少人数で授業を受けることで個別指導の時間を多く確保する指導形態です。

3.興味・関心に応じた分割少人数授業
国語科などでは、児童の興味・関心に応じて幾つかの学習課題を設定し、課題選択学習をおこなうことがあります。そのために学級集団を分割する指導形態です。

4.習熟度別授業
習熟度別授業は、「能力別授業」とは大きく異なります。
習熟度は「ある時点でのレディネス(既習事項)の定着度」を表します。
レディネス問題を解き、学習前の自身のレディネスを把握し、自分自身でコースを選択します。進度は同じですから、学習の途中でコースを変更することも可能です。

各コースの毎時間の学習課題も同じです。
課題解決までのアプローチの仕方だけが異なります。

(1)基本的な考え方を中心に、先生と一緒に核となる見通しをもち、段階を踏みながら学習を進めるコース。

(2)基本的な考え方を中心に、先生にヒントをもらったり、自分で見通しを立てたりしてできる限り自力解決をしながら学習を進めるコース。

(3)基本的な考え方に限らず、いろいろな考え方で自力解決をし、説明をしたり、議論をしたり、意見を交流させたりしながら学習を進めるコース。

1学級を2分割する場合は、(1)と(2)のコースを、
2学級を3分割する場合は、(1)・(2)・(3)のコースを設けて授業をおこなっています。

少人数授業や習熟度別学習は、
「いろいろな先生に教えてもらえる」
「少ない人数だから意見を言いやすい」
「気軽に先生に質問できるし、わかりやすい」
と児童にはとても好評です。

今年度も、年間を通して、習熟度別コーディネイター教員が学級担任と密に連携をとりながら、指導形態の工夫に取り組んでいます。

全校朝会 校長講話「4月12日は113回目の創立記念日」

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昨日は、本校113回目の創立記念日でした。今年は、戦後70年ということで、本校の歴史についてお話をします。
九条南小学校は、明治35年(1902年)4月12日、九條第2尋常高等小学校として誕生しました。この年の学級数は、11クラス、児童数571名、教職員は17名でした。その当時、本校は女子だけの学校でした。昭和5年(1930年)4月、学校の名前が、大阪市九條第2尋常小学校になり、この時から男女共学の学校になりました。戦時中昭和16年4月に学校名が大阪市九條国民学校に変わりました。このような中で、昭和18年(1943年)、校庭にタイル張りのプールができました。小学校にプールのない時代でしたから、他校の児童が泳ぎにきていたそうです。
そして、戦争がはげしくなってきた昭和19年(1944年)には、2年生以上の160名の児童が島根県に学童疎開をしました。
わかたけ18号に掲載された昭和21年卒業生の「集団疎開の思い出」を紹介します。
本校の5年生であった私が、級友達と島根県に集団疎開したのは、敗色が見えはじめた昭和19年9月のことである。
蚤にさされ、食糧不足に悩まされた毎日。遠く聞こえる汽笛に流した涙。線路づたいに大阪へ帰ろうとした友を提灯をともして探した夜。雪深い中での野菜運びや小さな肩に食い込んだ薪、畑の草取り、風呂の水くみ当番、飢えをしのぐためにかじったお芋、拾った椎の実。手紙が来なくてべそをかいたり、親と去っていく級友を見送ったりした日。

昭和20年(1945年)になるとアメリカ軍の空襲がはげしくなり、3月の大阪大空襲では、学校の理科室と工作室が焼け、講堂も焼夷弾を受けています。2年後の昭和22年(1947年)4月、校名が、現在の大阪市立九条南小学校になりました。

当時のことを石谷九条南連合振興町会長が、この110周年の記念誌に次のように書いておられます。
明治・大正・昭和、そして平成と4代にわたり、激動期を地域とともに歩み、めでたく110周年を迎えるにいたりました。<中略>大阪大空襲により、わが郷土・九条南は、町の大半が焦土と化して、見渡す限り、一面の焼け野原となりました。そのような中、悠然とそびえ建っている九条南小学校を眺めて、当時の多くの人々は、一日でも早く子どもたちが安心して学べる学校の再建を願いました。当時の教職員、保護者、地域の方々は、困難な時こそ、子どもの教育が大切と考え、戦後復興と学校の再建をめざして一体となって勇気と気力をふりしぼって、邁進されました。素直で明るく健やかな子どもを育てている今日の素晴らしい校風は、この苦労が育んできたと言っても過言ではありません。

<後略>

この地域の人々が、九条南小学校のことをどれたけ大切に思い、生きてこられたか、みなさんには、よく分かると思います。
昨日113歳を迎えた九条南小学校の歴史についてお話をしました。
もっとくわしい内容を知りたいと思う人は、図書室に110周年の記念誌と創立110周年記念読本「ふるさと九条南」を本棚に並べておきますので、ぜひ読んでみてください。

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