聖賢平和集会
聖賢平和集会で読まれた児童の作文です。
「社会見学で、ピース大阪に行ったときに、私の身長をはるかに超える大きな1トン爆弾を見ました。こんな爆弾がいくつもいくつも大阪の町めがけて雨のように降ってきたなんて想像できませんでした。実物の大きさを体感して、足がすくみました。 防空壕の体験もしました。防空壕に入ると後ろから次々と他の見学者が入ってきてあっという間に中はいっぱいになって身動きが取れなくなりました。暗くて狭く暑くて、当時もこんな感じだったのかなと想像しました。大阪は50回を超える空襲に遭い、たくさんの人たちが犠牲になりました、防空壕の赤い電気が私には炎のように見えました。 今、私が生きているこの時が戦争中でなく本当に良かったと心から思いました。私の幸せは、食べることと寝ることと学校に行くことと家族や友達と話すこと、遊ぶこと笑うことです。戦争はそんな毎日を奪う行為です。私は、幸せのために戦争はしないと強く心に決めました。」 聖賢平和集会8月の花日本一1学期終業式 校長講話
今日で1学期がおわります。今学期はどんな思い出がありますか
私はやっぱり6月におこった地震のことです。 これまで、みんなが学校にいる時に地震がおこったらどうするかばかり考えてきたので、今度のようにちょうど登校時間の発生になると、学校にいる人、登校途中の人、登校直前の人、いろんな状況の子どものことで頭の中が大混乱しました。みなさんの命を守ることが校長先生の仕事なのに勉強不足でした。反省しています。 おなじ災害の話ですが、先々週は西日本を大雨や洪水に見舞われました。土砂で家を押しつぶされたり、家の2階まで水につかってしまって屋根やベランダから助けを求める人のようすをみなさんもテレビでたくさん見たでしょう。 洪水の水はプールの水とはちがいます。泥水です。ですから、水が引いた後には家の中も道路も町中がドロであふれています。家をかたづけてまた住めるようにしようとしてもこのドロが邪魔をしてなかなか作業がはかどりません。特に地方では若い人が少なく、力の弱いお年寄りが多くてこまっています。 そんな時、災害ボランティアのみなさんが助けに来てくれました。ボランティアの人はお金がほしくて助けに来たのではありません。もちろん交通費も食事代も自分のお金を使います。自腹、持ち出しといいます。 私の若いころ、ボランティアということばはありませんでしたし、ボランティアとして働いたことがありません。だから、他人のためにあんなに一生懸命になれる人を尊敬してしまいます。 前に学校でこんなことがありました。学校を歩いているとけっこうゴミを見つけるんです。ある日、お友達の足元にゴミが落ちていたので、思わず、「そのごみ、拾って」と頼んだのです。その子はどんな反応をしたと思いますか?「これ、僕のんとちがう」と言うんです。「そうか、ごみに名前は書いてないもんな、でも、拾ってくれへんか」と返しました。するとその子は「ぼく捨てたんとちがう」といってどこかへいってしまったのです。 みなさんはどう思いますか?私は学校でごみをみつけたら拾って捨てます。当たり前のことだと思っています。でも、それは自分の学校の中だからです。道路に落ちているごみは「だれだぁ、こんなところに」と思ってもわざわざ拾おうとはしません。 というわけで、先生もごみを拾わずどこかに行ってしまった子と同じです。災害地にボランティアに駆け付けた人の足元にもおよびません。 人に物事を教える仕事をしているのだから、ボランティアの活躍を見るたびに感心ばかりしてないで、ちょっとは人のためになることをしようと思っています。みなさんも夏休み、家族以外の人のためになることをしてみませんか これで終業式のお話を終わります。8月27日元気な顔で会いましょう。 |