近畿小学校家庭科教育研究大会は、本校で11月8日(金)5時間目13時20分から14時5分に研究授業を行います。研究授業を行わない学級は、13時下校です。保護者は、研究授業を参観することができません。
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修学旅行8(平和のセレモニー)

上 原爆の子の像の前で、平和のセレモニーを行いました。
中 大領小学校の折鶴をここに。
下 みんなの思いがこもった折鶴を、無事に届けることができました。
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修学旅行7(元安川の横で)

上 元安川の横で昼食。
中 おにぎり弁当を食べました。
下 昼食後、原爆ドームをバックに記念撮影。
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修学旅行6(島内科医院横を通り平和記念公園へ)

 爆心地である広島市細工町29−2の島病院(現島内科医院)は、広島県産業奨励館(現原爆ドーム)の東側にあり、8時15分、病院南西側の上空約600mで炸裂しました。

上 爆心地についての説明が記されていました。
中 平和記念公園に入りました。
下 原爆ドームの横を通りました。原爆ドームは、1996年(平成8年)12月に核兵器廃絶と人類の平和を求める誓いのシンボルとして世界遺産に登録されました。
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修学旅行5(袋町小学校平和資料館2)

袋町小学校平和資料館では、被爆建物として西校舎の一部を保存し、「伝言」をはじめ袋町小学校に残された貴重な被爆資料を展示するとともに、被爆前後の学校の様子を紹介しています。

上 平和資料館3
中   〃  4
下   〃  5
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修学旅行4(袋町小学校平和資料館1)

爆心地から460mの位置にある袋町小学校は、原爆によって大きな被害を受けました。当時、多くの児童は疎開により被災を免れましたが、残っていた児童のほとんどが一瞬にして命を失いました。木造校舎はすべて倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリート造だった西校舎だけが外郭のみ原形をとどめました。
被爆直後から被災者の救護所として利用された西校舎内の壁面には、被爆者の消息などを知らせる「伝言」が数多く記され、現在も残っています。

上 広島駅から紙屋町東駅まで広島電鉄に乗りました。
中 平和資料館1
下   〃  2(伝言文字が記載されている壁)
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