令和2年10月17日(土)ホリデーコラム42
「2020年からの教師問題(石川一郎 著ベスト新書)」より、
最も「やらなくてはいけないこと」は、今までは受験勉強だったと思います。「もし、地球が東から西に自転していたとしたら・・・」という「問い」は、過去の大学入試では取り扱われなかったタイプの「問い」なので、従来の「勉強」の範疇には入らないものと考えられます。
ではこのような問いについて考えることをどのように形容すればよいかといえば、それは「学問」でしょう。
自分が知らないことを学ぶことで、新たな発見もあれば、悩み考えることもある。学んだことで悩み考える。そしてそこに「問い」が生まれる。「問い」に対して「答え」を出そうとするために、新たな「学び」が生まれる。「学ぶ」と「問う」が繰り返されます。
その「学び」と「問い」の間に存在するのが、「モヤ感」であり、知的好奇心なのです。
2020年の授業は、「勉強」ではなく「学問」に変わると予想されます。
授業で自転のことを学び、それによって生じている現象について学ぶ。そこで終わらずに、その定義自体をひっくり返して考えてみる。
そうした知的好奇心に基づいた学びこそ、今後の「やらなくてはいけないこと」なのです。
「勉強」と「学問」の決定的な違いは「人から強いられる」のか、「自ら問いを立てる」のかである。
「勉強」とは「勉めることを強いる」と書く。つまり他人から「強いられている」わけである。強いられて楽しいわけはないし、できることならやめたいと思ってしまう。勉強は人から強いられたものなので、強いている人、つまり親であったり先生であったり、に答えを求めてしまう。
「学問」とは「問いを学ぶ」と書く。つまり「問いを立てて、答えを見つけることで学ぶ」のである。問いを立てて学ぶのが学問だから、もし「学問は何の役に立つの?」という疑問が浮かんだら、その答えは自分で見つけることになる。しかしそもそもそのような疑問は浮かばないだろう、自ら目的を持って学んでいるのだから。
学力向上にとって大切なこと、それは子どもたちをいかにして「学びたい!」と思わせることができるか!そのために、教師はいい意味での「教えないこと」を追求しなければならない。