?令和2年11月1日(日)ホリデーコラム46
「2020年からの教師問題(石川一郎 著ベスト新書)」より、
今回の教育改革は、急速なグローバル化がその背景にあることは前述した通りです。グローバル化するということは当然異質性の文化を取り入れなければなりません。
一方日本は、島国であり単一民族であることから、同質性が高い社会と言えます。この同質性の高さが、日本の教育に大きな影響を与えてきたと考えられます。(中略)
例えば日本の学校では、教室において、お互いに気を使い合い、その場の空気を読み合って、多様な考え方の尖った部分をそぎ落としながら意見をまとめていく様子がよく見られます。話し合って、お互いの立場を理解できれば、意見が一つにまとまるのは当然であるといった感覚があるのです。
このような教室の様子は、同質性の高さから生まれてきていると感じます。一人ひとりの考えは、そんなに違わないという感覚がこの状況を作っているのではないでしょうか。
海外で行われている教育の話を聞き、実際にその現場に足を運んでみて感じることは、異質性が前提にあることです。
肌の色・目の色が違う人、文化も宗教も違う人が同じ教室に存在しています。まさに異質性の集団です。意見が異なることは当然であり、それを無理に一つにまとめるのは困難なことだと感じます。つまり、そこには、日本にはない別の協働の形があるのです。
「みんな同じ」では、もう過ごせない時代です。世の中は目まぐるしく変化し、価値観も多様化し、考え方や生き方も大きく変化している時代に、学校だけが過去の習慣や風習に囚われていてはいけません。異質性を取り入れなければ、というか、異質性を当たり前と思わなければ、ますます学校は社会から取り残されていきます。そして、なによりも不幸なことはその学校で学ぶ子どもたちです。みなさんはどんな子どもを育てたいですか?違いを受け入れ、認め合い、互いに向上できる子どもを育てたいですよね。大人から変わりましょう!もっと柔軟に、今からを見つめて、ワクワクする大人を目指しましょう!