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校庭開放です!

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令和2年11月4日(水)11月PTA校庭開放

 来る7日(土)9:30〜11:00 にはPTA主催の校庭開放が行われます。
 ウイルス対策を講じた上で、楽しいひとときを過ごしませんか?詳細は後日お手紙を持って帰りますので、ご確認ください。
 マスク着用!来校時には検温と手指消毒!参加者名簿の記載等をお願いします。

教えるからまなぶ(つなげる)へ

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?令和2年11月3日(火)ホリデーコラム47
「2020年からの教師問題(石川一郎 著ベスト新書)」より、

本書では所々で、生徒が「主体的」に学ぶことの重要性を指摘してきましたが、「指示する、指示を待つ」の関係性が教師と生徒の間に結果的に構築されてしまえば、それは、「主体的」に学ぶことの妨げにしかならないのです。
そういえば、2020年の教育改革に反対している教師の中に、「主役感」の強い人が大勢見受けられる気がするのは、私だけなのでしょうか・・・
さて、「主役感」を持つことにはもう一つ問題があります。教師が「主役感」を持つと、生徒に結果を強く求めるようになることです。(中略)
生徒が結果を出すこと自体が教師の目的になってしまうと、生徒が途中過程で悩んだり、失敗したりすることは、無駄なことととらえられてしまいがちです。
第二章で取り上げた「モヤ感」「クリティカルシンキング」「自分軸」は、生徒が主体的に物事に取り組む過程で生まれるものであり、「主役感」のある教師のもとでは生まれません。
教師の「主役感」は、生徒の多くの可能性を奪うものでしかないのです。





教師は「教えないこと」です。自分が「なんとかしなければ」や「なんとかしてやる」なんて思わないことです。これって仕事を放棄してる?楽してる?と思われたら大間違いです。反対に教えるよりも難しいことです。それは、子どもたちの一挙手一投足を見逃さず、子どもの変化に敏感になり、子どもから学ぼうと謙虚に、真摯に向き合わなければなりません。これは地道な、粘り強い関わりが不可欠となります。正直めんどくさい作業です。教えている方がよっぽど楽かもしれません。
しかし、2020年以降の学校教育は「教えるからの脱却」が掲げられ、「学ぶ(つなげる)」に移行しなければなりません。
「Teacher からFacilitator へ」です!
主役は子ども!教師に主役感は必要悪なのです。

あれ?色が違う?

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令和2年11月2日(月)図書館リニューアル工事終了!
 見てください!
 壁が取り除かれ、広ーい空間ができあがりました!また、床のカーペットも新調!一部色分けをしています!なぜかって?それは次回のお楽しみ!
 明後日に職員作業で本棚を入れていきます!新しくなった図書館に子どもたちがたくさん集い、本につかる毎日が楽しみです!

やった!惜しい!

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令和2年11月2日(月)五色百人一首大会
 朝から雨が続く午後。
 5.6年生の子どもたちが多目的室で恒例の「五色百人一首大会」を開きました。
 昔の日本語に親しむ活動として取り組んでいる百人一首をさらに上達させるとともに、他学年の子どもたちとともに楽しむことをめあてに取り組みました。
 子どもたちは一瞬の静寂と一気のタッチに一喜一憂します!

ちがっていいんです!

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?令和2年11月1日(日)ホリデーコラム46
「2020年からの教師問題(石川一郎 著ベスト新書)」より、

今回の教育改革は、急速なグローバル化がその背景にあることは前述した通りです。グローバル化するということは当然異質性の文化を取り入れなければなりません。
一方日本は、島国であり単一民族であることから、同質性が高い社会と言えます。この同質性の高さが、日本の教育に大きな影響を与えてきたと考えられます。(中略)
例えば日本の学校では、教室において、お互いに気を使い合い、その場の空気を読み合って、多様な考え方の尖った部分をそぎ落としながら意見をまとめていく様子がよく見られます。話し合って、お互いの立場を理解できれば、意見が一つにまとまるのは当然であるといった感覚があるのです。
このような教室の様子は、同質性の高さから生まれてきていると感じます。一人ひとりの考えは、そんなに違わないという感覚がこの状況を作っているのではないでしょうか。
海外で行われている教育の話を聞き、実際にその現場に足を運んでみて感じることは、異質性が前提にあることです。
肌の色・目の色が違う人、文化も宗教も違う人が同じ教室に存在しています。まさに異質性の集団です。意見が異なることは当然であり、それを無理に一つにまとめるのは困難なことだと感じます。つまり、そこには、日本にはない別の協働の形があるのです。




「みんな同じ」では、もう過ごせない時代です。世の中は目まぐるしく変化し、価値観も多様化し、考え方や生き方も大きく変化している時代に、学校だけが過去の習慣や風習に囚われていてはいけません。異質性を取り入れなければ、というか、異質性を当たり前と思わなければ、ますます学校は社会から取り残されていきます。そして、なによりも不幸なことはその学校で学ぶ子どもたちです。みなさんはどんな子どもを育てたいですか?違いを受け入れ、認め合い、互いに向上できる子どもを育てたいですよね。大人から変わりましょう!もっと柔軟に、今からを見つめて、ワクワクする大人を目指しましょう!
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