令和2年12月19日(土)ホリデーコラム59
「勉強するのは何のため?(苫野一徳 著 日本評論社)」より、
「二者択一のワナ」
「なんで勉強なんかしなきゃいけないんだろう?」
この本の主題を、ここで次のような「問い方」に変えてみます。
「学校の勉強は、実生活を送るうえで役に立つか、それとも立たないか?」
・・・さて、みなさんはどう思うでしょうか?
これが、私の言葉でいう「問い方のマジック」です。つまり、「あちらとこちら、どちらが正しいか?」という、二者択一問題のことです。
学校の勉強は、実生活で役に立つか、それとも立たないか。
そう問われると、わたしたちは思わず、どちらかが正しいんじゃないかと思ってしまいはしないでしょうか?
でも、この問いはどちらかが絶対に正しくて、どちらかが絶対に間違っているというような問いではありません。実生活で役に立つものもあれば、あんまり立たないものもある。というより、それは人によって違うから、まさに「一般化」できない問題なのです。
いわれてみれば、あたりまえのことです。
でもわたしたちは、「あちらとこちら、どちらが正しいか?」と問われると、思わず、どちらかが正しいんじゃないかと思ってしまう傾向がある。まさに、「問い方のマジック」にひっかかってしまうのです。
ここで問題です!
「子どもはほめて伸ばすべきか、それとも叱って伸ばすべきか?」
みなさん!どうですか?「問い方のマジック」にひっかからないように、とさっきいったばかりなのに、思わず、「やっぱりほめるべきでしょ」とか、思ってしまったりはしませんでしたか?
ほめることが必要な時もあれば、叱ることが必要なこともあります。だから、答えは一つではないのです。ただ感情的になって大人が子どもを叱ることは、あまり意味がありません。大阪府子ども家庭サポーターの辻由起子さんもおっしゃってました。「叱るのは60秒以内」と、また「行為は否定しても、人格を否定しない!」と。「大人が変われば、子どもは変わる」と。大人が子どもから学ぶことですね。