?令和2年12月20日(日)ホリデーコラム60
「勉強するのは何のため?(苫野一徳 著 日本評論社)」より、
「一般化のワナ」も「問い方のマジック」も、まさにわたしたちに正解を求めてしまう傾向があるからこそ陥ってしまう問題です。自分の経験こそが正解なのだと「一般化のワナ」にひっかかり、「あちらとこちら、どちらかが正解に違いない」と、「問い方のマジック」にひっかかってしまうのです。
正解を求めることに、わたしたちはあまりにも慣れすぎてしまっている。そういっていいかもしれません。学校教育の、ある意味一つの問題だともいえるかもしれません。
教師が教えるときには、答えを持っている時がほとんどです。そして、その答えを子どもから引き出そうとします。そうすると、子どもは教師の求める答え(正解)を答えようとし、教師の顔色を伺うようになります。すると、できる子どもが中心の授業に陥る危険があり、教師主導の「教える」授業となってしまいます。
2020年からは子どもが主導の「学ぶ」授業に変わらなければなりません!「正解がひとつでない問いを問い続ける」授業!「子どもが学ぶ・子ども同士が学び合う」授業!をつくらなければなりません!
「一般化のワナ」や「問い方のマジック」に惑わされないように、「自分のフィルター」を通して、「自分で考え、自分から表現する」子どもを育てなければなりません!