今年は、阪神淡路大震災から26年目でした。
あの日の朝の今まで経験したことのない揺れ、夜が明けるにつれて分かった信じられない惨状、自衛隊のヘリコプターが神戸の方に何機も飛んでいく日々。親戚を頼って転校してきたお友達。当時の学校の児童会で文房具やノート類などを集めたり励ましの手紙を作成したりしたものを、教師たちで地上組と海上組に分かれて避難所になっている小学校に届けに行きました。
池田市を超えたあたりから、ブルーシートで覆われた家々や、1階がつぶれた家々などが増え、胸がつぶれる思いになりました。小学校の体育館は避難所となり、たくさんの方々が避難されていました。
さて、南海地震がいつ起きてもおかしくないといわれています。
備えあれば憂いなしとはいいますが、未曽有の大災害が起きた場合に、冷静に自分の身を守る行動がとれるよう意識できるためにも、訓練は繰り返し必要です。
非常ベルと緊急放送で、運動場では遊びを止めてその場に座ります。教室で過ごしていた子は机の下に頭を入れ、廊下にいた子は窓から離れてしゃがみます。 揺れがおさまった後に、速やかに「お・は・し・も」で、運動場に避難することができました。いつでもどこでも冷静に、自分の命を守る行動がとれるように、気をつけたいものです。