8月20日(水)日吉ブラスバンドクラブ

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夏休み後半の練習がはじまりました!

今日は新しい楽譜「ケセラセラ」が配付されました。

パートごとに音やリズムの確認です。

楽譜にはQRコードがあり、読み取ると楽器ごとのお手本の演奏を聴くことができます!

すごいですよね!

8月20日(水)日吉ブラスバンドクラブ

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夏休み後半の練習がはじまりました。今日は各教室に分かれて練習をしました。

「ケセラセラ」というMrs.GREEN APPLEの曲の楽譜が配られました。

パートごとに音やリズムの確認をしました。楽譜にあるQRコードを読み取ると、その楽器のお手本の演奏が聴けるようになっています。

日吉ブラスバンドクラブでは、8月30日(土)の10時30分から多目的室で発表会をおこなう予定をしています。

その発表会で、夏休みの練習の成果を、おうちの方やお友だちに披露します。来年度入部を希望しているお友だちも、おうちの方と一緒にぜひお越しください。

8月6日(水)Nコン 大阪府コンクールに出場!

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本日、日吉小学校合唱団がNコンの大阪府コンクールに出場し、見事、金賞を獲得し、大阪府代表のキップを手にすることができました!

本日の演奏は、8月25日NHKーFM大阪で放送予定です。
(※NHKラジオ らじる★らじるで、放送後1週間の聞き逃し配信も行います。)


今回の大阪代表校は小学校全14団体から2団体が選ばれました。9月7日の近畿ブロックコンクールに出場します。その模様はEテレで放映される予定です。

保護者のみなさまには、今回のコンクールのみならず、これまで様々な舞台に向けた活動へのサポートをいただきありがとうございました。これからまたスタートしますが、どうかよろしくお願いいたします。

日吉小学校合唱団の活動は、地域、PTAのみなさんをはじめ、学校体育施設開放のみなさんによって支えていただいています。いつもいつもありがとうございます。どうか今後ともよろしくお願いいたします。

今日まで暑い中、習い事やスポーツなどと両立しながら頑張っているメンバーや、初めてのコンクールで、毎日本番に向けて自主練習をしていたメンバーもたくさんいたのではないでしょうか?

そうした苦労を積み重ねながら、友だちや先輩と歌声を作ってきた成果が、舞台の上ですべて素晴らしい音楽として表現されていたと思います。

今日の歌声は、今までで一番明るくのびやかで素晴らしい合唱でした。

また、今回は万博こども音楽会など、様々なステージを経て今日を迎えました。そのほとんどの練習や本番に卒業生のOGのメンバーが参加してくれました。今回の結果の立役者です。本当にありがとう!

さて、奇しくも今日は8月6日です。その節目の日に、日吉小学校合唱団が歌う喜びや、優しい心を歌声にのせて世界に発信することができたことは、大変意義深いことだと感じています。

これからも、合唱ができることへの感謝と喜びの気持ちを忘れず日吉小学校の子どもたちのすてきな心を歌声としてみなさんに届けていきたいです。

8月5日(火)80年前の写真が卒業生から届きました!

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先日、卒業生の和田 悦子さん(旧姓)から、お電話がありました。

「戦後80年を迎え、学童疎開をしていた頃の写真を、日吉小学校の資料として寄贈したいです。また、できましたら今の子どもたちに伝えてほしいです。直接写真をお届けしたいのですが、体調により難しいので郵送させていただきます。」とのことで、お写真とお便りを送付していただきました。

和田さんに確認したところ、子どもたちへの紹介や、このHPに掲載することを快くご承諾いただきましたので、お便りをもとに紹介をさせていただくことにしました。

【和田 悦子さんのお手紙より】
この写真は、島根県邑智郡都賀村にあった大阪市立日吉国民学校学童疎開寮の本部があった西円寺に、終戦直後の昭和20年9月22日、先生、寮母さん、学童が集まった時に撮影された一枚の写真です。

この写真をもとに80年前を思い出しながら綴ります。

学童疎開へと出発したのは昭和19年9月です。4〜6年生が島根県簸川郡神門町に向かいました。寮生活での寝泊まりは教室ごとに町会別に分かれ、授業は学年別に分かれて教室で勉強しました。

その後、昭和20年のお正月は地元の民家で過ごし、親元を離れている私たちにはとても嬉しく、村の人たちの厚情に今でも感謝しています。

昭和20年5月に戦争が激しくなったことから、それまで滞在していた寮舎は軍が使用することになり、私たちは島根と広島の県境近くの山奥に再疎開することになりました。そこでは、3つのお寺に学年ごとに滞在し、地元の学校に通うこともなく8月の終戦を迎えました。

昭和20年の9月、写真が撮影されたその日、寮長の先生から、「日吉国民学校校区の中で、親御さんが亡くなられたのは○○君一人です」と発表があり、○○君は初めてそれを聞いたのでしょう。声を上げて泣き崩れていたことがいつまでも私の脳裏に残っています。

9月は戦争が終わっていたにもかかわらず、豪雨による水害で鉄道が一部不通になり、10月に復旧してようやく大阪から母親が迎えに来てくれました。

疎開中の昭和20年6月に西区(現在の浪速区幸町)の私の家は大空襲により焼失し、親戚を頼って奈良県の法隆寺駅近くに引っ越しましたが、疎開先から帰ってきた私は、転校したくなかったので、日吉国民学校まで関西本線に乗って片道1時間をかけて汽車通学をしていました。

港町(現在のJR難波)から天王寺の間はいくつかの蔵が焼け残った他は、一面焼け野原だったことを覚えています。翌21年に阿倍野区に転居し、そこから日吉小学校に通い、昭和22年3月、音楽室で卒業式を終えて、私は日吉小学校を無事に卒業しました。

最後に、学童疎開のおかげで、機銃や大空襲の爆撃を知ることもなく、おなかのすいた毎日でしたが、都会育ちの私にとっては、経験できない日々となりました。現在の平和な日本がいつまでも続くことを祈っています。

お便りは以上です。
子どもたちには、2学期にあらためて児童朝会等で、和田さんのお話を紹介させていただきます。

日吉小学校の子どもたちがこれからも健やかに成長できるようサポートしてまいります。明日は日吉小学校合唱団がNHK子ども音楽コンクールに出場します。平和への願いを込め、世界中に、また、卒業生のみなさんにも歌声を届けたいと思います。

卒業生の和田悦子さん、この度は本当にありがとうございました!

7月31日(木)イングリッシュデイ

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先日行われた「イングリッシュデイ」の様子の画像が、主催者より1枚送られてきましたので、紹介をさせていただきます。これは、C-netの間を通って子どもたちが入場している様子です。

日吉小学校からは16名の高学年児童が参加しました。

普段は各中学校下で外国語の指導をしている大勢のネイティブ・スピーカーが集合し、様々なアクティビティを提供してくれました。

はじめは恥ずかしがっていた子どもたちも、次第に楽しみながら、C-netと受け答えができていました。「日吉小の子どもたちは英語でのやり取りがスムーズです。」と担当の方から褒めていただきました。


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学校行事
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