そっと種をまく
- 公開日
- 2020/08/18
- 更新日
- 2020/08/18
すくすく、長吉南っ子!
先週、お休みの間にたくさん本を読みました。その中でも保護者のみなさんに伝えたくなった話の一つを紹介します。
インドのある水汲み人足は2つの壺を持っていました。
天秤棒の両端にそれぞれの壺を下げ、彼は水を運びます。
片方の壺には、ひびが入っていました。
完璧な壺が小川からご主人様の家まで一滴の水もこぼさないのに対し、ひび割れ壺はいっぱいまで水を汲んでもらっても家に着く頃には半分になってしまいます。
完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。なぜなら、彼は本来の目的を常に達成することができたからです。
ひび割れ壺は、いつも自分を恥じていました。なぜなら、彼はいつも半分しか達成することができなかったからです。
二年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壺は、ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。
「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている」
「なぜそんな風に思うの?何を恥じているの?」水汲み人足は言いました。
「この二年間、私はあなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力をしてもその努力が報われることがない。私はそれが辛いんだ」
壺は言いました。
水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道ばたに咲いているきれいな花を見てごらん」
天秤棒にぶら下げられて丘を登って行く時、ひび割れ壺は、お日様に照らされ美しく咲き誇る道ばたの花に気づきました。花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、ご主人様の家に着く頃にはまた水を半分漏らしてしまった自分を恥じて、水汲み人足に謝りました。
すると彼は言ったのです。
「道ばたの花に気づいたかい?花が、君の通る側にしか咲いていないのに気づいたかい?僕は君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。そして、君は毎日、僕たちが小川から帰る時に水をまいてくれた。この二年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。君があるがままの君じゃなかったら、ご主人様はこの美しい花で家を飾ることはできなかったんだよ」(作者不明 菅原裕子訳)というお話です。
子どものひび割れを見つけたとき、私たちがしてあげられること。
それは、ひび割れを責めることではありません。
ひび割れをふさぐことでもありません。
ひび割れから水がこぼれ落ちるその場所に、花の種をそっとまいてあげることではないかなぁ、と。そんなことを考えていました。
272人の子どもたち。一人一人とても素直だし、一人一人優しいところもたくさんもっています。でも、注意されることもあるし、意地を張ってしまうこともあるし、友だちに意地悪しちゃうときもあります。当たり前です。
そんな「ひび割れ」が見えたとき、私たちができることは何か。時には注意をし、時にはボンドで「ひび割れ」を直すことも必要です。でも、そればかりではなく、その「ひび」を受け止めること、そしてその「ひび割れ」から水がこぼれ落ちるその場所に、そっと種をまいてあげること。これこそが2学期は特に大切になってくるのかもしれません。
私たちはみんな、ひび割れを持っています。子どもたちにもひび割れはあります。お父さん、お母さんにも、そして私たち教職員にも何らかのひび割れはあります。
子どものひびを責めるのではなく、それを受け止めて、花の種をまき、花を咲かせる手助けをする。決して簡単なことではないですが、2学期も教室にたくさんの花を咲かせたい。たくさんの花咲く学校にしたい。本を読みながら、そんなことを考えていました。
夏休みもあと1週間。制限が多い夏休みですが、大いに満喫して、2学期元気にスタートできますように、保護者のみなさん、あとひと踏ん張りよろしくお願いします。