12月16日(月)全校集会講話
- 公開日
- 2019/12/16
- 更新日
- 2019/12/16
山岡校長の「雨ニモ負ケズ」
いよいよ次の日曜日、12月22日が、24節気の第22「冬至」です。
昔から、「冬至」には、かぼちゃを食べて、「柚子湯」に入る習慣があります。
諸説ありますが、かぼちゃ、つまり南瓜(なんきん)は、元々、南方から渡ってきた夏野菜で、1年で最も太陽の力が弱まる日に、皮が固く保存のきく夏野菜、かぼちゃを食べることによって、柚子湯とともに、風邪をひかないようにしたのではないかと言われています。
これからインフルエンザがはやる季節です。
体調を万全に整えて、これからの寒さに負けずに、頑張りましょう。
さて、皆さんは、徳川家康という人物を知っていますよね。江戸幕府をひらき、初代征夷大将軍となった武将です。
徳川家康は、1542年、三河国岡崎(現在の愛知県岡崎市)の松平家に生まれ、幼名を「竹千代」といいました。
一地方豪族の松平家は、駿河国(現在の静岡県)の有力な守護大名「今川義元」に誠意を示すため、子「竹千代」を人質として差し出すこととしました。
初めて、今川義元が、竹千代を見たとき、家来たちに、こんなことを命令したそうです。
「これから、この竹千代が、ほしいというものは、なんでも与えよ。したくないと言えば、無理にさせるな。なんでも、竹千代の言うことを、すべて聞いてやれ。」と。
皆さんは、今川義元は、なんと優しい人だと思うかもしれません。でも、それは大きな間違いです。
今川義元は、初めて竹千代を見たとき、これは大変な人物となる。そうなる前に、竹千代を「ダメな人間」にしてしまおうと、考えて、このようにしたのです。
つまり、その人間をダメにしようとするなら、なんでもその人の言うことを聞いてあげればいいのです。
すると、わがままで、自分勝手な人間となります。
そんな人間が、殿様になれば、国は乱れ、滅んでしまうでしょう。
今川義元は、それを狙ったのです。
1560年、桶狭間の戦いにおいて、今川義元は、織田信長に討たれ、とってかわった家康は、織田信長と「清州同盟」を結び、その後、松平から徳川家康となります。
分かりますか。皆さんのことを「大切だと思っている人」は、皆さんの言うことを何でも聞いてくれる人ではありません。
皆さんの言うことを何でも聞いてくれる人は、皆さんのことをダメにする人かもしれません。
懇談会で、担任の先生から厳しいことを言われることもあるでしょう。
それは、君たちを、社会に出て通用する人間に育てるのが、先生たちの仕事だからです。社会に出るともっと厳しいからです。
懇談会で、担任の先生から言われたことを肝に銘じて、学習に、部活動に、今後、もっと、自ら、厳しさを求めていってください。
このあと、理科の藤田先生から、12月26日(木)にある「部分日食」についてのお話があります。