12月25日 2学期終業式講話
- 公開日
- 2015/12/25
- 更新日
- 2015/12/25
山岡校長の「雨ニモ負ケズ」
12月22日(火)が、24節気の第22、「冬至」でした。
前に全校集会で話したように、これからは、夕方、日が長くなってきますが、夜が明けるのは、ますます遅くなってきます。
最も夜が明けるのが遅いのは、冬至の2週間後ということですので、1月5日頃が、最も夜明けが遅いことになります。朝練に来る生徒は、気を付けてください。
保健体育科でお世話になった、新見先生が、2学期末で勤務を終えられました。皆さんに挨拶する機会がありませんでしたが、よろしくお伝えください、ということでした。
3学期からは、保健体育科の松宮先生が、復職されますので、しっかりと指導してもらってください。
1学期の終業式で、1980年に起こった「京阪電車置石事件」の話をしました。中学生が線路に置石したために電車が脱線し、乗客104名が負傷したというものでした。
線路に置石をすることは、「往来危険罪」が適用され、2年以上の禁固刑となるそうです。電車が脱線して死者が出た場合は、無期懲役、または死刑もありうるほどの重い罪だそうです。
先日、住之江区で、道路上に置かれていたコンクリートブロックに、バイクが激突して、50代の男性が死亡するという事件がありました。
犯人は、住之江区内の中学2年生だそうです。交通事故が起こって、騒ぎになるとは思ったが、まさか亡くなるとは思わなかった、ということです。
明日から冬休みです。中学生としての判断力をもって行動してください。
さて、皆さんは、徳川家康という人物を知っていますよね。江戸幕府をひらき、初代征夷大将軍となった武将です。
徳川家康は、1542年、三河国岡崎(現在の愛知県岡崎市)の松平家に生まれ、幼名を「竹千代」といいました。
一地方豪族の松平家は、駿河国(現在の静岡県)の有力な守護大名「今川義元」に誠意を示すため、子「竹千代」を人質として差し出すこととしました。
初めて、今川義元が、竹千代を見たとき、家来たちに、こんなことを命令したそうです。
「これから、この竹千代が、ほしいというものは、なんでも与えよ。したくないと言えば、無理にさせるな。なんでも、竹千代の言うことを、すべて聞いてやれ。」と。
皆さんは、今川義元は、なんと優しい人だと思うかもしれません。でも、それは大きな間違いです。
今川義元は、初めて竹千代を見たとき、これは大変な人物となる。そうなる前に、竹千代を「ダメな人間」にしてしまおうと、考えて、このようにしたのです。
つまり、その人間をダメにしようとするなら、なんでもその人の言うことを聞いてあげればいいのです。
すると、わがままで、自分勝手な人間となります。
そんな人間が、殿様になれば、国は乱れ、滅んでしまうでしょう。
今川義元は、それを狙ったのです。
1560年、桶狭間の戦いにおいて、今川義元は、織田信長に討たれ、とってかわった家康は、織田信長と「清州同盟」を結び、その後、松平から徳川家康となります。
分かりますか。皆さんのことを「大切だと思っている人」は、皆さんの言うことを何でも聞いてくれる人ではありません。
皆さんの言うことを何でも聞いてくれる人は、皆さんのことをダメにする人かもしれません。
懇談会で、担任の先生から厳しいことを言われたことと思います。
なぜなら、君たちを、社会に出て通用する人間に育てるのが、先生たちの仕事だからです。社会に出るともっと厳しいからです。
懇談会で、担任の先生から言われたことを肝に銘じて、学習に、部活動に、今後、もっと、自ら、厳しさを求めていってください。