1月13日の全校集会の話
- 公開日
- 2015/01/13
- 更新日
- 2015/01/13
つぶやき
13日の全校集会での校長の話
このところ新聞、ニュースで話題になっているものの一つに今度の土曜日17日に関係するものがありますが、何かご存じですか?
阪神淡路大震災ですね。
20年前の1995年1月17日午前5時46分、それは突然やってきました。
私は当時阿倍野区のマンションの1階に住んでいました。長男は一つになったばかりで、その日も5時におなかがすいたと泣いて、ミルクを飲んでやっと落ち着いたのが5時半過ぎでした。もう少し寝ようと思った瞬間、大きな揺れがやってきました。外に出るにしても、マンションの上から落下物があるかもしれないし、向かいの家は古くて、屋根がこちらに向いているので屋根瓦がこちらに向いて落ちてくるかもしれません。どうしたものか判断に悩みました。テレビやラジオのスイッチを入れたものの、現在の地震については何も語っていませんでした。これだけ揺れているのに何で、何も言わないのと不思議でした。
頭の中には、昔の理科の教科書に出ていた写真が浮かんできました。マンションの1階がつぶれている写真。やばい、何とかしなければと思うものの。なかなか動けませんでした。
とても長い時間に感じられました。
しばらくしてようやくテレビでも大騒ぎになり、次第に兵庫県の悲惨な状況がはっきりしてきました。
その後も何度か余震があり、この日出勤すべきかどうか悩みました。まさに家を出ようとしたときにも大きな余震があって、またまた出勤すべきかどうか悩みました。
当時は鶴見橋中学校にいて、学校は無事でしたが理科準備室の標本がいくつか倒れていて、ホルマリンがこぼれていました。しばらくは理科準備室の悪臭が取れませんでした。
あの日の経験だけでも、もう十分だと思っているので、二度と大きな地震が来てほしくないと思っていますが、これだけは我々の意思で何ともできません。
できることと言えば、備えることです。過去の経験を生かして、次に来る大地震に備えるしかありません。経験の無い皆さんにはピンと来ないことかもしれませんが、備えあれば憂いなしと言います。
家でも学校でもいざというときどう振る舞うべきかについて、今一度しっかり考えてみてください。