学校日記

生野の民話-1-(5月3日)

公開日
2020/05/03
更新日
2020/05/03

お知らせ

 校長室の本棚の奥に、「生野の民話」というタイトルが付いたコピーの綴りがありました。その中に紹介されている、東生野中学校に関係するお話を紹介します。
 【清見原神社】
 本校から東へ歩いて5分のところに清見原神社があります。
 第40代の天武(てんむ)天皇をおまつりしてあります。1200年昔ですが、わが国の古い歴史を記録した古事記や日本書紀をご編さんになった方が、この天武天皇で日本歴史の神様といわれています。
 明治5年までは天武天皇の宮とよばれてきました。皇居であった飛鳥(あすか)の浄(きよ)御原(みはら)の宮から、はるばると難波宮へお越しになる途中ここで休まれました。伝説ですが、天武天皇は故郷を思い出されて、「吉野はどのあたりだろう」と、吉野の方を見返られました。それが後に貴重な言い伝えとなり、土地の名になったのです。吉野見橋を作り、道筋を吉野見通とよばれました。
 近くの人達で吉野見会をつくって、毎月50銭を出し合って、1年会費6円で四国のこんぴらさん参りをするのです。これが老人たちの楽しい昔の思い出話です。神社の正面には御幸橋もありました。
 このお宮さんには、だんじり4台(大友、片江、中川、腹見)が夏祭り、秋祭りに集まります。鉦(かね)や太鼓(たいこ)での勇ましい演奏の清見原神社のだんじりばやしはその昔、全国大会にも大阪代表で出ました。日本一のだんじりばやしといわれています。
 勿論、皆さんご存じですね。清見原神社の宮司さんは、3年生露原君のお父さんです。
           (校長)