生野の民話-2-(5月4日)
- 公開日
- 2020/05/04
- 更新日
- 2020/05/04
お知らせ
校長室の本棚の奥に、「生野の民話」というタイトルが付いたコピーの綴りがありました。その中に紹介されている、お話を紹介します。
【翠岩(すいがん)さん】
「郷土のほまれ すいがんの 気高い心 受けついで ま心こめて 学ぶのだ」
東中川小学校の校歌にも歌われている翠岩(すいがん)さんは、中川村のお百姓さんで、住吉屋太郎右(う)衛門(えもん)といい、東中川小学校付近に住んでいました。
昔からこのあたりは土地が低くて、大雨が降ると田畑の作物や家が、水につかり流されたりするのでした。翠岩さんは、自分の財産を投げ出して、川の水が流れやすいように工事をしたり、道や橋をたくさん造りました。その橋の名は、反田(はんだ)の橋、はりの木の橋、念仏(ねんぶつ)橋、宮の下橋、それから、宮口の橋、幸橋、豊年橋、墓の前橋、まだあります。北の橋、又左衛門の橋、俊徳街道翠(みどり)橋(ばし)など11以上あります。翠岩さんは、多くの田畑を村の人達に寄付して62歳で亡くなられました。
その後は、恵まれた田畑の作物などを、中川村の人達で分け合ってきました。また、東中川小学校へ放送器具や、男女児童の希望像などを作ったり、生野区の19の小学校全部へ、昭和56年6月に多額の図書券を配られました。東桃谷小学校には、「釈(しゃく)翠岩翁(おう)誕生300年記念事業による金10万円也の寄贈本101冊購入、6月30日」と」記録されています。
翠岩さんの誕生300年記念事業として、お墓の前と生野区役所内の空地に立派な記念会館を建設されました。このような翠岩さんの残された財産が、生野区の区民のために生かされていることは、いつまでも、いつまでも偲(しの)ばれるでしょう。