学問の府 懐徳堂 公開日 2015/11/12 更新日 2015/11/12 お知らせ 江戸時代の日本において現代の大学にあたるのは、大坂の懐徳堂と江戸の昌平黌であった。官学の拠点として儒学を教授した昌平黌と異なり、懐徳堂は享保9年(1724)に大阪の有力な町人「五同志」が出資して、明治2年(1869)に閉鎖されるまで大阪町人の教育機関として存続した。既成仏教を批判した富永仲基、無神論・地動説を唱えた山片蟠桃など第一級の学者を輩出した懐徳堂は、広くフィロソフィーやサイエンスに及ぶ「知の総合大学」であった。そうした実証的なアカデミズの系譜は後の大阪大学へと継承される。 高校紹介 野崎 高津 花園 布施 みどり清朋 いいね(0)