「背割」
- 公開日
- 2016/11/07
- 更新日
- 2016/11/07
お知らせ
本日の全校朝礼では、校長先生から土曜日のNHKの番組で紹介されていた「大坂」の町づくりについてのお話がありました。
現在、町のさかいめは道路で区切られていることが多いですが、大坂城築城から江戸時代にかけての大坂の町づくりでは、道路をはさんで向かい合った形で「町」としていました。町のさかいめが道路と道路の間にある形です。道路に向かって家屋が建っているので、その家屋の背に町のさかいめがあることから、こういう町の分け方は「背割」と呼ばれています。このさかいめに下水を通して排水設備を整える工夫もしていたようです。
当時の町の区分が現在の大阪にも残っていて、本校と天満中学校との校区の境界にもその名残があるというお話でした。